いつのまにかトルコは宿敵ロシアと友好国になっていた
エルドアン大統領がウクライナ戦争でロシアとウクライナの和平交渉を仲介したことは記憶に新しい。トルコ人にロシアについて聞くと“ロシアは友好国”というコメントが多い。そしてトルコのビーチリゾートにはなぜか多くのロシア人観光客が滞在している。
オスマン帝国にとり帝政ロシアは宿敵、ソ連邦時代の冷戦期にはトルコはNATO加盟国として両国は対立していた。それゆえ筆者はトルコ旅行に行く前は“今でもトルコとロシアは互いに警戒している関係”なのだろうと誤解していた。
16世紀後半のイワン雷帝の東方イスラム圏への支配拡大
少し両国関係史を遡ってみたい。ロシアは13世紀から3世紀にわたりモンゴル帝国の末裔のイスラム教徒(トルコ系のタタール人=韃靼人)に支配された。16世紀後半からロシアはイスラム勢力への反転攻勢を始めた。1552年にイワン四世(イワン雷帝)はカザン・ハーン国を滅ぼし、1554年にはアストラ・ハーン国を征服し、さらに16世紀末にはシベリア・ハーン国も征服した。
いわゆる『タタールのくびきからの解放』である。ちなみにカザン・ハーン国のカザンはモスクワ西方わずか700キロである。こうしてロシア正教を奉じる帝政ロシアは東方イスラム圏への攻勢に乗り出した。
ヨーロッパ大陸西端でカトリック教徒のスペインが1492年にイスラム王朝のグラナダを陥落してレコンキスタ(国土回復運動)に成功した。その半世紀後にヨーロッパ東端のロシアでもスペインと同様の“キリスト教徒のイスラムへの反攻”が成功しているのは興味深い。
征服したタタール人に対するロシア正教への強制改宗と苛烈な統治
ロシアに征服されたタタール人の貴族はロシア正教への改宗か貴族特権剥奪の二者択一を迫られ、多くの貴族は改宗してロシア皇帝に恭順したという。余談であるが、なんとナポレオン戦争でモスクワを救った英雄クトゥーゾフ元帥、音楽家のラフマ二ノフは改宗したタタール貴族の末裔らしい。そういわれてみると肖像画や写真で見ると2人の風貌にはどこかアジア系の面影が残っているようにも思える。
一般のタタール人は強制改宗と懲罰と重税の挙句にロシア人入植者に土地を奪われた。さらにピョートル大帝の時代にはギリシア正教への帰依が一層強化された。こうした圧政から逃れるために多くのタタール人がイスラム教の守護者であるオスマン皇帝の庇護を受けるべくオスマン帝国領内に移住した。
エカテリーナ2世時代から加速するロシアの南下政策
1768年ロシアはオスマン帝国からクリミア・ハーン国を併合。1787年の戦争でロシアはオスマン帝国からクリミア半島を獲得。
1853~56年のクリミア戦争ではロシアはオスマン帝国に敗退するも1877~78年のロシア=トルコ戦争ではロシアが勝利した。
ロシア革命が両国関係の転換点
ロシアはロシア革命により第一次世界大戦中に連合国から離脱しドイツ・オーストリア・トルコなど同盟国と休戦。その後1921年にウラジミール・レーニン率いる革命ロシアとムスタファ・ケマル(後のケマル・アタチュルク)率いるトルコ大国民議会の間でモスクワ条約が締結され、両国の領土境界線も確定した。革命ロシアはヨーロッパ資本主義諸国の支援を受けた反革命勢力に対抗するためにトルコと善隣関係を望んだのだ。
第二次世界大戦と戦後の東西冷戦時代から現在まで
トルコは国父ケマル・アタチュルクの遺訓である平和外交・絶対中立の外交方針を守り、第二次世界大戦ではドイツと米英からの執拗な参戦要請を退け中立を維持した。ドイツ・日本の降伏直前の1945年初めに戦後の外交的立場を考慮して形式的にドイツ・日本に宣戦布告したが実際の戦闘には参加していない。
こうしてトルコは連合国の一員として戦勝国となり東西冷戦が始まるとNATOに加盟して西側陣営に属した。
ソ連邦崩壊後の両国関係はトルコがNATO加盟国ではあるものの経済的利害とバランスをとり比較的に良好な関係を継続してきたようだ。
ウクライナ戦争で対ロシア経済制裁に参加せず中立を守るトルコ
ウクライナ戦争でトルコは対ロシア制裁に参加せず中立を守り、トルコはロシアにとり中国・インド同様に貴重な友好国となっている。このあたりはエルドアン大統領のしたたかな全方位外交の真骨頂であろう。
対ロシア制裁に参加しないトルコに対してトランプ大統領も文句を言えない。逆に先日ガザ地区のハマスとイスラエルの停戦合意の後のインタビューで、トランプ大統領はエルドアン大統領を絶賛していた。停戦交渉でハマスが渋る条件を最後の最後に呑ませたのがエルドアン大統領だったようだ。イスラム大国トルコの大統領としての面目躍如である。
トルコ経済の弱点“エネルギー問題”はロシアからの石油・ガス輸入で
エネルギー問題は長年トルコ経済の足枷であった。貿易収支で石油・ガスなどエネルギー輸入が最大の赤字要因であった。トルコは早くから政府補助により豊富な太陽光を利用したソーラー給湯システムを普及。筆者が自転車旅行したエーゲ海、地中海沿いの地域ではほぼ全ての家々の屋根にソーラー給湯システムが設置されていた。
同時に風力発電、発電用ソーラーパネルも促進してきた。特に風力発電は盛んでしばしば幹線道路の脇に組み立て作業所があった。トルコ旅行中に頻繁に丘の上の古い風車小屋を見かけた。昔から風力利用が盛んだったという伝統があるようだ。
しかしソーラー給湯システム、風力発電、ソーラーパネルはしょせん補完的エネルギー源でしかない。
ロシアからの天然ガス・原油供給がトルコのエネルギー需要の相当部分をカバーしてきた。トルコはロシアと黒海経由の天然ガス輸送パイプラインで繋がっている。ウクライナ戦争による欧州各国の制裁で行き場を失ったロシアの天然ガスをトルコは、有利な条件で輸入していると言われている。
