2024年11月22日(金)

ちょっと寄り道うまいもの

2009年6月25日

 「姿を見て、その育った川が分かる」

 そんな趣味人が、昔はいた。養殖か天然か、ではない。育った川によって、鮎(あゆ)の姿形が違う。それが分かったという話である。

炭火焼でじっくり焼かれた「川原町 泉屋」の鮎塩焼は、頭から骨まで残すことなく食べられる

 フランスの星付けを断ったという噂の料理屋さん。旬の鮎焼きに舌鼓を打ちながら、知ったような話をしていたら、主人がそう言った。イヤミではなく、戦前のお大尽や趣味人にはそんな人もいたようだと。

 「例えば……」というのが、木下謙次郎。政治家だったが、友人である北里柴三郎が、「身を政界に投ぜしめたのは誠に惜しむべきことで、人物経済上一大損失」という美食家。『美味求真』で知られる。

 名前を知っていた程度だったので、あわてて古本を探し、呆れた。何なのだ、この博識は。何をどうしたら、これだけ分かるのかと溜息が出るほどの圧倒的な食いしん坊なのだ。

 その指摘にいちいち納得させられる。曰く、若鮎は鮎ではない。大河よりも、小さな川、下流よりも上流の鮎がよろしい。寒いところよりも、暖かいところの方がよろしい。

 「目から鱗(うろこ)」ばかり。鮎という魚は香魚ともいうように、香りが命。なので、海から戻る途中の若鮎のように、動物質のエサを食べているものは、まだ鮎とはいえぬ。岩に付いた苔をたっぷりと食べ、その香りを身につけたものこそ、というわけ。故に、そのような条件にあった時期のもの、場所のものこそが最良という話になる。流れの状況などによって、顔立ち、ヒレの状態なども違うから、どこの川で捕れた……という話にもなるということなのだ。

 圧倒的な説得力ながら、「本当かしら」という思いもないではない。そういえば、と、とある人物を思い出し、新幹線に乗った。

 行き先は岐阜。なに、名古屋からすぐだ。その長良川にほど近い場所に、「川原町(かわらまち) 泉屋」はある。その主、泉善七さんは100年以上続く川魚の佃煮などの老舗の5代目にして、それだけに飽きたらず、鮎専門に食べさせる店も開いてしまったという人物。当代一の鮎知りである。


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