2024年4月16日(火)

ブルキナファソ見聞録

2015年1月14日

 10月30日を前に、ガソリンスタンドや商店が閉まるらしいという情報が流れ、長蛇の列に並んで車のガソリンを満タンにし、水等を備蓄した。学校や企業も閉まり、10月30日は私達も自宅待機となり、最低限の人数だけが事務所に出てきた。事務所は町の中心部からは少し外れているので、周辺は落ち着いていたが、刻々と地元メディアがフェイスブックなどを使って写真付きで発信する情報を見ながら、見慣れた町の変わりぶりに、非現実的な感覚に陥った。いや、町の変わりぶりではなくて、ブルキナファソ国民の変わりぶりに、ということだったのかもしれない。

町中に書かれた「国民投票反対」の文字

 昨日まで、こんなに大人しくて良いの? と感じていた人々が、一斉に強い意思表示をしたことのインパクトは、計り知れない。治安を維持する軍や警察も、これまでの国民感情を理解するかのように力ずくで押さえようとはしない。今回の暴動で犠牲者(騒乱による死者として埋葬式が行われたのは24名)が出たことは非常に心痛むことだったが、もっと多くの死傷者が出てもおかしくない規模の衝突でその人数が限られていたことは、傷つけることを目的とした暴動ではなく、表明しようとした意思が明確なものであったことを物語っていると思う。

「権力は国民のものになったんだ」

 ブルキナファソ国民だけでなく、ブルキナファソに住む私達外国人の多くが、今回の暴動はクーデターではなく、市民革命であった、と感じている。10月31日にコンパオレ大統領が辞任を表明した後、誰が権力を握るのか、事態の推移が心配される時間があった。軍が握るのかどうかが、大きなポイントの1つである。そんな時、事務所の警備員が言った。

 「コンパオレはもういなくなった。誰が上に立っても関係ない。権力は国民のものになったんだ。上に立つのが誰であれ、間違ったことをするなら、また自分たち国民がノーを突きつけるまで」

 ブルキナファソの人々が政治議論好きで、政治に関心の高いことはわかっていたが、政治家でも学者でもなく、普通の一般市民がこの2日間をもってして、さらりとこんなことを言う。緊迫の2日間の渦中にまだある状況で発せられた一言は、ずしんと響いた。誰が政権を掌握するのか、軍も「我々は権力に関心はない」と言っておきながら本当にそうか安心できない、疑心暗鬼になる私達を横目に、ブルキナファソの人はもう確信していたのである。国を変えたのは自分たちで、これからもそうだ、と。一昨日まで、こんなに大人しくて良いのか! と感じていたことが恥ずかしくなった。


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