国民が力を持った日。
ブルキナファソの人々の、内に秘めたる大きな力を見た。2014年がブルキナファソにとってここまでの転機になるとは、誰が思っていただろう。大方の予想は、2015年11月に予定されていた大統領選挙がこの国の転換点になるということ。ワガドウグにいても、直前までその印象は同じだった。
10月30日に発生した大統領の三選に反対する一般市民の大規模な暴動。その後の軍による政権掌握。戒厳令や夜間外出禁止令の発令。翌日には大統領の辞任表明。国が一瞬で傾くとはこういうことか、と実感した。
国民の支持を失っていた大統領
27年に渡って長期政権を維持してきたコンパオレ大統領は、西アフリカで対立する国々の間に入り、仲介者としてこの地域の安全・安定に貢献してきたこともあって、一定程度の評価を得てきた大統領である。
ただ、肝心のブルキナファソの国民の支持は下降線。村落部ではまだまだコンパオレ支持者も多いと言われていたが、都市部を中心に長過ぎたコンパオレ政権の退陣を望む国民感情が確実に蓄積されていた。また、1987年にコンパオレ大統領が政権を掌握した際に死亡したサンカラ元大統領は、そのカリスマ性から今なお多くの国民に愛されており、「サンカラの頃は良かった」と口にするブルキナファソの人はとても多く、これらサンカリストと呼ばれる人々も反コンパオレの一派をなしている。
町中に書かれた「コンパオレは去れ」の文字
ここで少し、今回の時系列を追ってみたい。
そもそもの発端は、2015年に予定されていた大統領選挙を前に、コンパオレ大統領が続投を果たすべく、三選を禁じた憲法の改正に乗り出そうとしたことである。