2024年4月19日(金)

ブルキナファソ見聞録

2015年1月14日

日常を取り戻すのもまた一瞬

政府と繋がりがあるとされた企業の車輌も市内で燃やされた

 国会議事堂、コンパオレ一族の関連企業、与党関係機関などへの放火や略奪行為は海外でも報道されていることなので、詳細は割愛したいと思う。ワガドウグに住む私達が実感しているのは、ブルキナファソが暴力的な状況に陥ったということではなく、今回の一連の騒乱が、前向きで、一定の秩序をもった、建設的な行為だったと捉えることもできるのはないか、ということである。

 10月30日と31日は確かに非日常的なものだったが、一気に緊張が高まったこの2日間とは対照的に、ブルキナファソの人々が日常を取り戻すのもまた一瞬だった。11月1日には、野党側の指導者のひとりで前ワガドウグ市長の呼びかけにより、朝から一般市民のボランティアが町の清掃を行っていた。町を壊す行為に及んだのは市民自身だが、また日常を取り戻すべく清掃するのも市民自身。一列に並んで道路を掃く姿は、前日に火を放った同じ市民とは思えない光景だが、どちらもブルキナファソの人々の真実である。

朝から市内の清掃を行う市民(11月1日)

 また、襲撃された施設は、すべてのものが持ち出され、火を放たれ、壁と屋根しか残っていないような状況だが、すぐ隣り合う施設は無傷であるなど、今回の襲撃の対象が明確であったことが一目瞭然であった。やみくもに略奪行為を繰り返すような、混乱に乗じた社会秩序の崩壊までには至らなかったのである。

 さらに、いくつかの食糧倉庫が襲撃に遭い、穀物など中に保管されていた食糧がすべて持ち出されてしまったのだが、これらの中には学校給食として配布される予定であった子ども達のものや、コンパオレ一族とは関係のない倉庫も含まれていた。コンパオレ一族が私利私欲のために蓄えているものだと思われ略奪されたものが多かったが、これらは大統領とは関係ない、子ども達や一般市民のための食糧なのだという報道がラジオなどを通じて行われた。地元のモスクや学校を通じて返却してほしい、という呼びかけがなされ、すべてではないものの、今まさにその一部はきちんと返されつつある。これもまた、ブルキナファソの人々らしい。


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