対談

2015年2月19日

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増田:先日、宮城県の女川町で小泉進次郎氏と公開ディスカッションする機会がありました。津波被災で大きな被害を受けた女川では、人口減少を前提としたコンパクトシティ化が進められています。復興からのまちづくりがテーマなのでコンパクトシティ構想にも言及したのですが、会場に来ていた女子高生に「これまでは地元の商店街の店に魅力がないから、みんなわざわざ石巻市のイオンモールまで行っていました。そんな店を町の真ん中に集めたからって行きません。これまで通りイオンに行きますよ」と言われました。小泉氏も私もこれは核心を突いていると唸りました。

 魅力のないものを中心部に集めてコンパクトシティといってもそれは本当のコンパクトシティではなくて、集積によって新しい商売を生み出し、お店でも新しいモノを売り始める。いわゆる付加価値ということでしょうが、コンパクト化によって初めて可能になったことを売り出さないと、街の魅力は高まりません。物理的に役所から病院から集めればいい、あるいはハコモノに全部押し込めればうまくいくというのでは、真のコンパクトシティではないのだと思います。鳴り物入りでオープンした青森市のアウガが、あっという間に経営破綻を起こしてしまったように。

飯田:立派なハコだけが残る、と。

増田:そうそう。それを何で埋めようか、となってしまう。女川の女子高生の言葉には強烈な印象を受けています。

飯田:実際に岩手県の沿岸部は釜石市にはじまり、陸前高田市にもイオンができていますね。活性化イベントをイオンが主催したり、かつては商店街が持っていた機能もイオンが代替している面もあり、いわば「半公共施設」のような役割をナショナルストアが担っているようにも思えます。

増田:釜石や陸前高田のイオンは、新しい付加価値を地域に提供しつつある例ではないでしょうか。

「百年の計」としてのコンパクトシティ構想

飯田:コンパクトシティ化では「コンパクトな市域に入れなかった地域」の不満が必ずつきまといます。しかし仮に30万人規模の中核市を維持していくためには、周辺から中核市に人を集める必要もあります。日本全体では少なくともあと50年は人口が減り続けるわけで、市の単位ですら難しいことを全国の単位でやらなければいけない。大変な難事業です。

増田:コンパクトシティと中山間地域の維持とは分けて考えなければいけないと思います。コンパクトシティは市の周辺部、郊外部分をどうするかに焦点を当てて、時間をかけてやるしかないでしょう。集積化もまたまちづくりであり、それには時間がかかります。長期の時間軸を意識しながら、目の前の合意形成のプロセスをしっかりとやる、それには最低でも20~30年はかかるでしょう。

飯田:いまの地方都市は戦後の70年か、もしくは明治維新以降の百何十年もかけて形成されてきた街ですからね。

増田:そうですね。人口が増え続けるという前提で、外へ外へと拡大していったものを、もう一度内側に戻していくわけです。

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