2024年6月16日(日)

「ひととき」特別企画

2015年4月1日

 門を入って拝堂に向かう。住職の安念清邦(あんねんせいほう)さんが福々しい笑顔で迎え出てくれた。

 「ここは、空海が開いた高野山を一目見たくて、老齢をおして讃岐国からはるばる渡ってきた御母公を迎えた院です」

慈尊院住職の安念清邦さん(右)と語り合う西山厚さん

 高野山は明治5年(1872)まで女人禁制だった。母であっても入山は許されない。かわりに空海は、母のために月に9度、ここを訪ねた。その逸話から九度山の地名が生まれたという。御母公の廟堂(弥勒堂)には、木造弥勒仏坐像が安置されている。21年に一度、開帳される秘仏だ。

 「平安時代初めの仏様。素晴らしいお像です」。以前に拝見したことのある西山さんは、お姿を思い出しながら顔をほころばせる。

空海は参詣道の道しるべとして1町ごとに木製の塔婆を立てた。鎌倉時代より参詣道の塔婆は石柱に

 境内をめぐり、次いで丹生官省符神社へ、長い石段を上がる。境内には高野山の遥拝所がある。御母公をはじめとするあまたの女性たちは、入山を厳しく拒む女人結界のきわから、遥か高野山を拝んだことだろう。だから慈尊院には、女人高野の別名がある。

 石段の途中には、高野山への参詣道である町石道(ちょういしみち)の180番目の町石が建つ。慈尊院から高野山の壇上伽藍(だんじょうがらん)まで180町(約22キロ)、その一町(約109メートル)ごとにある道しるべ。標高800~900メートルの聖地へ、なかなかに野趣溢れる参道である。ここを月に9度往復するとは健脚にして母思い。

 「弘法大師のお母様と父の母とが重なって、しみじみします」

 そんな感想をつぶやく西山さんと共に、我らは車で移動することとしよう。


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