2024年4月20日(土)

「ひととき」特別企画

2015年4月1日

御母公ゆかりの九度山から出発

 今、人待ちをしているこの場所は、和歌山県の九度山(くどやま)にあり、高野山参詣の入り口にあたる。119段の石段下には慈尊院(じそんいん)、上には丹生官省符(にうかんしょうぶ)神社。現在は別々だが、かつてはひとつの寺社だった。高野山開創の際、空海はここを表玄関として伽藍(がらん)を建て、高野山一山の庶務を行う政所(まんどころ)を置いた。そして、上の社に、丹生・狩場両明神を祀ったのだ。

空海は、高野山の表玄関として九度山に慈尊院を草創した

 しかし、明治維新の神仏分離令が、神社と寺院を切り離してしまった。神道国教化の施策に、神も仏も共にあった日本人の心は、どれほど戸惑ったことだろう。

 「お待たせしました」

上の写真の石段の上には丹生官省符神社が鎮座。地主神の丹生・狩場両明神が祀られている

 慈尊院の表門に、日本仏教史の研究者である西山厚さんが奈良から駆けつけてきた。実はこの旅、西山さんにお供して、空海と高野山を学ぼう、という目論(もくろ)みなのだ。

 「父から『じそういん』という発音で繰り返し聞いていたお寺です。父の母は、慈尊院の近くから学文路(かむろ)へ嫁ぎました」

 学文路は、九度山からほど近い町。歴史学者であった父・徳(いさお)さんの実家があり、西山さんは幼いころから、数えきれないほど高野山に登っているという。


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