このようなことを心得て、ご恩にむくいるため、お役に立ちたいものと覚悟をきめ、殿様よりご厚遇をいただけば、ますます私心を捨てて、ご奉公に励み、たとえ浪人や切腹をおおせつけられようとも、それも一つの奉公と考えて、山奥に隠棲していようと、土の下に葬られようと、生き変わり死に変わり、お家につくし 奉るという決意、これこそ鍋島侍第一の覚悟、われらの骨髄である。出家している自分にはそぐわないことではあるが、私は成仏など願ったことなどはない。七たび生まれ変わっても鍋島侍となり、お国につくす決意がにしみついているほどである。
鍋島侍には気力も才能もいらぬ。一口にいって、お家を一人で背負って立つ覚悟をつくればよいのである。同じ人間として、誰が劣るということなどはない。すべて修行は大高慢の心がなければものにならない。われ一人でもお家を安泰にしてみせるという覚悟でかからねば、修行は実を結ばないものである。
しかし、このような覚悟というものは、ヤカンのように熱しやすく、冷めやすいということもある。これには冷めぬ工夫がある。われら一流の誓い、すなわち
一、武士の道におくれをとらぬこと
一、主君のお役に立つべきこと
一、親に孝行をつくすこと
一、大慈悲の心をおこし、人のためにつくすこと
この四つの誓いを、毎朝神仏に念ずれば、二人力となって、決して後へひくようなことはない。そうすれば尺取虫がはうように、少しずつ前へにじり出ることができよう。神や仏といえども、志を立てるにあたって、まず最初に誓いをきめられたものである。
ここで最も強調されているものは藩の伝統とその精神である。釈迦も孔子も信玄も無用であるという。当時は、江戸幕府も安定期をむかえ、元禄の繁栄に酔いしれていた。五代将軍綱吉は「生類(しょうるい)憐れみの令」を頻繁に出し、側用人柳沢吉保が取り立てられた。そして、朱子学が官学とされ、文学・芸術の方も大いに栄えた。坂田藤十郎・竹本義太夫・近松門左衛門・井原西鶴・松尾芭蕉・尾形光琳・菱川師宣等々の人物が新風を起こした時代である。
また町人の典型として材木業者の紀伊国屋文左衛門や奈良屋茂左衛門らが、その富をほしいままにし、大尽(だいじん)遊びを楽しんでいた。今日の財閥である、三井・住友・鴻池などの基礎もこの頃に確立された。
簡単に隣の芝生を羨まないこと
こういう時代背景の中にあって、常朝はひとり、憂国の情にかられていたのである。
釈迦も孔子も……といっている。ある意味では偏狭にとられやすいが、常朝の本意はそうではない。常朝自身は湛然(たんねん)和尚や儒学者石田一鼎(いってい)から教えを受けているところからみてもわかる。つまり、それはよそさまのことばかりありがたがっている風潮に対しての抗議である。
現代流にいいかえると、アメリカでは、フランスでは、イギリスでは、ドイツでは、イタリアでは、スウェーデンでは、ということになる。おおむね欧米である。アングロかラテンである。つまり先進国ということだ。なぜ先進国かといえば、大英帝国の栄光がいまだに輝いているからである。それに比べ日本は敗戦国である。その延長線上に劣等国という潜在意識がある。たとえ世界第二位のGDPでもその意識を変革できない。それほど大英帝国の残滓は大きいのである。日本には“負けるが勝ち”ということわざがあるが、それを忘れているのだ。『葉隠』は、そういう欧米人に成りすまし、偽装欧米人になることを嫌った。それは主体性を保つためである。それが国学という表現である。