古都を感じる 奈良コレクション

2009年9月4日

»著者プロフィール
著者
閉じる

西山 厚 (にしやま・あつし)

帝塚山大学教授、前奈良国立博物館学芸部長

帝塚山大学文学部文化創造学科教授。前奈良国立博物館学芸部長。徳島県鳴門市生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。奈良国立博物館では「女性と仏教」など数々の特別展を企画。主な著書に『仏教発見!』(講談社現代新書)、『僧侶の書』(至文堂)など。日本の歴史・思想・文学・美術を総合的に見つめ、書き、生きた言葉で語る活動を続けている。

興福寺曼荼羅(部分)の西金堂。阿修羅像が見える。 
*禁転載

 天にたどり着くと、同行した文殊菩薩が摩耶夫人のところへ行き、あのときの赤ちゃんが今はブッダ(目覚めた人/悟りを開いた人)になって、あなたに会いに来ましたと告げる。うれしさのあまり、摩耶夫人の乳房からおっぱいがあふれ出す。数十年前にお釈迦さまがわずかに口にしたかもしれないおっぱいが、うれしくてあふれ出す。しかし、あの赤ちゃんがそんなエライ人になっているとは信じ切れない摩耶夫人が、「もしもそれが本当なら、このおっぱいよ、口に入れ」と念じて乳房をしぼると、おっぱいはぴゅーっと遠くまで飛んでお釈迦さまの口に入った。摩耶夫人、歓喜すること限りなし。お釈迦さま、歓喜すること限りなし。経典にはそう書いてある。それから摩耶夫人はお釈迦さまのもとへ行き、説法を聞いて、すべての苦しみすべての悲しみが消え去った。お釈迦さまはお母さんの恩に報いたのである。だから、亡き母を追慕して建てる西金堂の本尊は、お釈迦さまでなければならない。

 こうして本尊はお釈迦さまになった。ただしこれはあくまで伝承で、歴史的事実とは異なる。しかしいずれにせよ、お釈迦さまの周囲に並んだ八部衆の顔は子どものようだ。阿修羅も迦楼羅〔かるら〕も五部浄〔ごぶじょう〕も、みんな子ども。十大弟子も、老けたお顔の老僧さえも含めて、なんだか子どものようにみえてならない。西金堂が母を想うお堂だからだろうか。

 光明皇后はお母さんから大きな影響を受けた。三千代は仏教を深く信仰していた。邸宅には仏堂が建てられ、多数の経典が置かれていた。母の死後、信仰とともに、それらも光明皇后が受け継いだ。

 西金堂は永承元年(1046)以来、6度も焼けたが、阿修羅たちはそのたびに救い出された。いつの時代にも、仏像を守ってきた人がいるのである。そして西金堂は火災のたびに再建された。しかし、享保2年(1717)の火災で興福寺もついに力尽きたのか、それからの三百年間は復興できずにいる。 

関連記事

新着記事

»もっと見る