中国と異なりベトナムでは共産党員になるメリットがないのだろうか
11月21日。ベトナム北部の観光拠点カオバンのホステルのオーナー兼マネージャーのアラフォーの女性と歓談。ホステルは5階建てで古びているが、室内やリネン類が清潔で繁盛している。小学生の息子を英語塾に通わせており、将来は待遇の良い外資系企業に就職させたいという。
中国では給与が比較的高くいわゆる“役得”もあり身分が安定している公務員が大人気であり、毎年公務員の募集に新卒大学生が殺到している。そんなことから女性にベトナムにおける職業選択において公務員や共産党員の評価を聞いところ、真っ向から否定された。曰く公務員は給与水準が外資系よりかなり低く、またコネがないと出世できず、一般的に人気がないとのこと。それゆえ共産党員になりたいというモチベーションが乏しいと断言。
中国国境の都市ランソンの食堂の若女将も、甥と姪が日本で働いて1人は立派な家を建てもう1人は商売を始めており、子どもが将来成功するために英語や日本語を勉強させたい、と言っていたことを思い出した。ベトナム庶民にとり共産党や共産党員は憧れの存在ではないようだ。
ダナンの観光ガイドの中年男性の客引き
12月5日。現在のダナンは海辺の人気リゾートであり、高層ビルが聳える近代都市だ。郊外の工業団地には多数の外国企業が進出している。ダナンの中心地のドラゴン橋の近くのベンチで休憩していたら、人の良さそうな中年男が「ダナンの観光名所をバイクで案内するよ。特別割引するよ」と英語で声を掛けてきた。「自分は外国人観光客の希望に沿って名所旧跡をガイドしている」と畳みかける。彼は自分のミニバイクの後部席に客を乗せて観光スポットを巡りチップを得るという生業のようだ。
すかさず筆者に各国の観光客と一緒に撮影した写真のアルバムを見せた。さらに外国人観光客が感想を手書きした厚手のノートを広げた。英語・スペイン語・フランス語・ロシア語・中国語・韓国語などの主要言語の他に、ヨーロッパ諸国のマイナーな言語も多数あった。そして5~6人の日本人も感想を残していた。
総じて低料金で親切丁寧と高評価である。全員がかなりの長文で感想を記しており、ガイド氏の人柄を絶賛している。世界各国でこうしたフリーのガイドの客引きを見てきたが、アルバムや感想ノートは客を信用させるための常套手段である。しかし感想ノートにここまで熱心かつ丁寧に記載しているケースは初めてだった。
ダナン米軍基地で父親が運転手をしていた幸せな一家の生活は突如暗転
なんとなくガイド氏個人に興味が湧いた。聞くとガイド氏は現在63歳、先祖代々ダナンで暮らしてきた。そしてガイド氏の父親はベトナム戦争中には米軍基地で運転手をしていた。南北ベトナムが対峙していた時代には両国の中立地帯がダナンの北にあった。そのためベトナム戦争中に米軍最大の基地が置かれ戦略拠点となったのだ。
子どもの頃は父親が米軍将兵からもらうお菓子や食糧が毎日楽しみだったという。真面目な父親は米軍の信用も厚く町の周囲の家よりもガイド氏の家は豊かな暮らしをしていたようだ。
ところが北ベトナムの人民解放軍の進駐により、ガイド氏一家の運命は急転。人民解放軍とベトナム共産党はベトナム戦争中の“対米協力者”を徹底的に調べ上げて拘束した。ガイド氏の父親も近隣住民の通報により逮捕された。長期間の拘禁と拷問で釈放された時には廃人同様になっていた。南北統一後のダナンの地域社会では“対米協力者”のレッテルを貼られたガイド氏の父親は職業に就けず毎日酒を呷って数年も経たずに亡くなった。
ガイド氏は南北統一時に13歳だったが、“対米協力者の子ども”と呼ばれ学校には通えなかった。ガイド氏は父親が死んでからは家族のために遣い走り、糞尿の運搬、ゴミ拾いなどあらゆることをして家計を助けた。しかしどれだけ頑張っても“対米協力者の子ども”はまともな職業には就けないとガイド氏は悟った。
16歳の時に小さな漁船に乗りベトナム脱出を試みたが荒天で転覆。同乗していた30人ほどの人々の大半が溺死。1年後に再度ボートでの脱出を試みたが、警戒中の人民解放軍に見つかり逮捕。
そのまま刑務所に連行され18歳から23歳までの5年間を強制労働に服した。獄舎は狭く12畳くらいの部屋に20~30人収容。雨漏りが激しく地面に藁をしいて寝るという有様。しかも収容者がどんどん増えてくるので、囚人どうしが折り重なって寝ていた。水も不足しておりシャワーは禁止されていた。
食事は粗末で朝はパンが一切れで水のようなスープのみ。昼食はイモが一つあればましな方。夕食は朝食とほぼ同様で偶にご飯が供された。夏の炎天下、雨期の豪雨の中でも強制労働のノルマは変わらずまさに地獄の日々。
定期的に学習と称する時間があり共産主義と共産党礼賛の内容だったらしいが、空腹と重労働の疲労でまったく耳に入らなかったと、ガイド氏は述懐した。
出所後から現在に至るまでの刻苦勉励
出所後もまともな仕事に就けず、日雇いや臨時雇いで糊口を凌いだ。共産党による社会主義化で経済全体が破綻していたのだ。ドイモイ(刷新)政策が導入されて市場での取引や個人営業の商売が許容されて、市場経済が徐々に広がるにつれてダナンの町も活気を取り戻した。そのころ結婚したガイド氏は、家族を養うために昼夜を問わず働いて、小銭を貯めて数年後に遂に念願の中古ミニバイクを購入した。
ミニバイクで荷物の配達をしていたが、外国人観光客のガイドをすれば収入が増えると考えて英語を独学で猛勉強。こうして荷物の配達と観光ガイドを兼業しながら子どもを育てた。
現在は、孫は5人。長女は大学を卒業して現在は海外で働いており、クリスマス休暇に帰国の予定。63歳になったガイド氏は穏やかな表情で「今は家族に囲まれ幸せだ」と微笑んだが「それでも共産党ハノイ政府は信用できない」と本音を漏らした。
