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2015年7月7日

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中西 享 (なかにし・とおる)

経済ジャーナリスト

1948年岡山県生まれ。72年共同通信社に入社。88年から91年までニューヨーク特派員、経済分野を取材し、編集委員を経て2010年に退社。現在は経済ジャーナリスト。著書は「ジャパンマネーの奔流―ニューヨーク・東京・ロンドンの24時間」(1987年、ダイヤモンド社)、「日本買い 外資は何を狙っているか」(2005年、PHP研究所)など。

偏差値に頼らない

 荒瀬氏はその後、98年に教頭として堀川高校に戻り、2003年から校長を9年間務め改革を実践した。この間、多くの生徒と接してきたが、ある時、堀川高校を受験した生徒の論文に目が釘づけになった。学業の成績は芳しくなかったが、論文だけは満点だった。職員の間でこの生徒を合格させるかどうか大議論になったが、最終的には合格とした。この生徒は天文が大好きで、電波望遠鏡を使って宇宙の始まりを解明するのが夢だった。

大谷大学荒瀬克己教授

 偏差値的には難関大学に入学するのは難しかったが、自分が将来やりたい仕事をするためにはとの思いから、苦手な科目の勉強にも意欲的に取り組んだ。結果的に東北大学に合格し、その後、東京大学大学院を経て、念願かなって電波望遠鏡のある国立天文台に就職できた。

 こうした生徒を見ていると、生徒の可能性を信じて応援することが教師の大事な役割だと痛感するという。堀川高校では、生徒が行きたいという大学に対して「君の偏差値では無理だからやめたほうがいい」という進路指導はしない。模擬試験の結果などから志望する大学の合否判定が「D」(一般的には合格の可能性が20%程度以下)となった場合でも、生徒が希望すれば受験させる。

 荒瀬氏は広告代理店に就職したかったそうで、イメージが伝わりやすいキャッチコピーで改革の方向性を表現するのが上手だ。堀川高校の基本理念である「すべては君の『知りたい』から始まる」、「二兎を追う」(高校時代に2つの目標を同時に追い求めることの意味は大きい)など、一目でインパクトを与える言葉が学校紹介のパンフレットなどにちりばめられている。2年前に市教委の教育企画監を経て退職、いまは大学で教鞭を取りながら中教審教育課程部会や高大接続システム改革会議などの委員として、教育改革を前に進めるため尽力している。

市教委と連動

 堀川高校を含めた京都市立高校の学校改革は同市教育委員会と共通認識のもとで行われてきた。その中で同校は校舎の建て替えも重なって、改革のモデルと位置付けられ、市教委は全面的にサポートしてきた。門川大作京都市長は堀川高校の出身で、改革時には市教委の総務課長(その後、総務部長、教育次長、教育長)で、行政の責任者としてその後の改革を側面から支援してきた。

 市教委の清水稔之教育企画監は「堀川高校で改革を経験した先生がほかの市立高校に転勤しているので、堀川の『探究』型の教え方が市内全体に広がってきている。また卒業した第1期生がもう32歳になっており、中には市立高の教壇に立っている卒業生もおり、各方面で活躍してくれている」と、堀川高校が突破口となった教育改革の成果を強調する。恩田校長の前に校長を務めた川浪重治・市教委学校指導課首席指導主事は「『探究』の授業は高校・大学改革の議論されている方向と軌を一にしている」と断言する。

 「京都という町は昔から大名に治められたことがなく、町衆と呼ばれる人たちが物事を決めてきた。このせいか、自分たちで物事を解決しようという気風、DNAがあるようで、生徒たちにも主体的に物事に取り組もうとする姿勢が受け継がれていると感じる。そうした精神を大切にして、生徒の自立を応援したいと考えている」と解説する。

 インタビューした荒瀬、川浪、恩田氏の3人はいずれも教育行政をする立場の市教委と校長という学校現場の両方に勤務した経験がある。こうした交流人事が活発に行われることで、堀川で始まった学校改革がほかの高校にも伝播しようとしている。このような改革は全国の高校に広がってほしいと思うが、そのためにはまず教員の意識が変わらなければ改革は起きない気がした。『4人組』のような改革の先導役が各地に現れることを期待したい。

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