一馬はそれから、再び山に戻って、珍しい蘭の苗を売ったりして暮らすようになる。
ドラマは、一馬(リリー・フランキー)の回想を引き出すように、飲料の自動販売機からおカネを盗もうとして、警察に捕まるシーンから始まる。
このときに、一馬は50歳を過ぎていた。刑事・桃園幸作役の生瀬勝久と、宅間剛役の浅利陽介が掛け合いで、一馬の人生を明らかにしていく。
ドラマはときとして、制作者の意図を超えて時代を撃つものである。演出の吉田照幸は、一馬のサバイバルをかけた人生生活に驚愕したことを、制作のきっかけとして上げている。
人間が地縁や血縁から隔絶して
孤立する「アトム」化時代
昭和から平成にかけて、高度経済成長を抜けて低成長に至り、バブルの崩壊があって、金融資本主義の、とめどもない奔流が幾度も、世界経済を揺さぶっている。
一馬の人生は、そんな経済事情の変転とはなんの関係もないようにみえる。
しかし、どうだろうか。いま欧州や先進国で問題になっている、格差の拡大と、人間が地縁や血縁から隔絶して孤立する「アトム」化時代を迎えて、一馬のたどってきた人生は、わたしたちに考えさせるものがたくさんあるように思う。
一馬は人間社会と関係を完全に絶ったわけではない。農家の夫婦によって、いったんは洞窟暮らしから救われた。
元社長だったホームレスを、一馬は助けて一緒に住まわせる。彼から文字を習うのである。密漁の監視の最中に土手で、痴漢に襲われた白石真佐子(坂井真紀)を助ける。そして、真佐子に、あまりにも遅いが初恋の感情を抱くのである。
ストリップ劇場にいって、従業員とけんかになるが、根性が気に入られて働くようになって、東京から和歌山まで流れていったこともある。
「洞窟おじさん」である一馬は、「アトム」化した人間の典型のようであって、そうではない。