戦後70周年をきっかけとして、さまざまな分野の過去と現在、未来を考える「NHKスペシャル ニッポンの肖像」のなかから、「豊かさを求めて」をテーマとした第1回「“高度成長”何が奇跡だったのか」(5月30日)と、第2回「“バブル”と“失われた20年”何が起きていたのか」(5月31日)をご紹介したい。
1985年9月の「プラザ合意」がバブルの発端
6月24日午前、日経平均株価が2万0942円まで上がり、2000年4月に付けたITバブル期の最高値2万0833円を超えた。
米国のFRBのイエレン議長が今年中にも「ゼロ金利政策」から利上げの方向性を示唆して、世界の市場は神経質な展開となっている。
世界の基軸通貨であるドルを握っているとともに、金融大国である米国が現代の金融市場を主導するとともに、大きな波乱を巻き起こしている。
NHKスペシャル「“バブル”と“失われた20年”」は、当時の映像を駆使するとともに、政府や日銀の幹部だった人々に対するインタビューによって、バブルが膨らんでいく過程を丁寧に追っていく。いまでは想像できないことではあるが、日本は米国とともに世界経済をけん引する「G2」と呼ばれる存在だった。
1985年9月の「プラザ合意」がバブルの発端だったと、番組のナレーションは告げる。財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」に苦しんでいた米国が、輸出の拡大などのためにドル安の容認を主要国に同意させたのである。
当時の日銀理事だった、佃亮二氏は次のように振り返る。
「俺たちはバブルの戦犯だ。あのとき理事だった仲間と飲むとそういう話になる。あの時に俺たちは(バブルを防ぐことが)きちんとできなかった」
プラザ合意に基づいて、日本は為替介入によって円高に誘導するとともに、日本の景気を浮揚させて輸入を促進するために、米国が要求する利下げに応じることになった。86年に入って3回の利下げを実施した。
宮沢蔵相とベーカー財務長官による合意である。87年2月には公定歩合は2.5%と、戦後最低水準となる。