2024年11月21日(木)

対談

2015年9月28日

木下 生産力を拡大し、財政均衡を図る。でも飢饉などの不況時には財政出動を行う。そのための手元資金が必要だという考え方なんですよね。貧しい人の生活支援でも、先立つものは無金利で融資することでまずは返済能力をつけさせる。晴れて完済となると、その返済能力がそのまま安定した生活の基盤になる。支払える能力のある人からは金利をちゃんととり、それが無金利融資の財源ともなるので、弱者支援に対する視点もきわめて合理的です。社会資本整備まで、財政だけではなく地域金融の力も活用する、とても秀逸なエコシステムなんです。彼が創設した「五常講」などの地域金融システムは、世界初の信用組合だったともいわれています。

久松 凄いねぇ、合理性を追求していったらそういうシステムになったということなんですね。

田舎だからこそITで遅れをとってはいけない

木下 二宮の凄いところは徹底した現場主義であるのと同時に、しっかりと書類で記録し、報徳仕法というマニュアルとして体系化していることです。今の時代も現場主義の人って、事業をやることばかりで、記録や体系化とかやらないですから。

久松 記録しないですよね。

木下 報徳金の貸し借り、五常講の管理もすべて台帳で管理されていました。低利融資をやる場合の複利計算表もちゃんとあって、分度計算も含めてすべてマニュアルになっているんです。

 さらに実務というケーススタディまであるので、マニュアルとケーススタディ両面で、誰でも適切に模倣できるようになっている。だから二宮の弟子たちは、現在でいえば福島や静岡など各地で活躍して実績をあげているんですよね。

久松 その徹底はすごいですね。そこまでやるのはなにか意図があったんですかね?

木下 「すべてを自分ではできない」という強い認識ではなかったかと思います。600もの農村から依頼がくるわけですが、今みたいに交通網が発達していたわけではないので、本人が行けなくても回るようにしなければならなかった。二宮の厳格さは地域の既存勢力との衝突を起こすこともしばしばで、地元の名主からひどい待遇を受けたこともあります。600もの村でそういう細かな折衝までのすべてを、自分が抱え込むことは諦めたのだと思います。

 二宮は晩年に弟子を集めて、報徳仕法書の体系的整理に相当な時間を費やしました。その間は面会謝絶までしていたほどです。そこまでやって過去の記録と手順書を整備して、同じ方法を実行できる人を増やそうとしていたのだと思います。


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