木下 これは彼自身に、二度の洪水で崩壊してしまった生家を、自分の手で再興させた経験があり、それに基づくモデルなんですね。生産活動を基本において、その生産力に応じて支出を決めて収支を一致させ、余剰は金融として回していく。このサイクルによって600以上の農村を再生させたといわれています。
二宮には多くの地域から報徳仕法の依頼が来たのですが、まずその藩が率先して分度を守り、財政規律を高めない限りは引き受けませんでした。貧しい地域で行政側の予算が手厚いということは、身の丈に合わない予算により借金漬けになっていたり、重税体質になっているはずだ、というわけです。これを正さなければ、どんなに民間が頑張っても行政の借金返済に使われるだけ、もしくは税金に召し上げられるだけになり、民間が頑張るインセンティブが生まれない。民の上に立つ者から、まずは自らを律することを求めて、もしそれができないのであれば、報徳仕法により地域の生産力拡大を図ることはしない、というわけです。
久松 かえって歪みが大きくなってしまう。
木下 はい。しかも彼は規律や道徳としてそう言うだけではなく、数字を示して進言するんです。定性的なだけではなく定量的な視点が常にある。過去の租税台帳から豊作と凶作の平均値を細緻に計算して割り出し、収穫高を見極め、それによって藩の財政規模の適正値を出します。つまり「この予算でやりくりしなさい」ということですね。さらには藩財政の部門別予算まで手を入れ、どこを削減するかまでをシナリオにして、依頼主に提言します。藩の側には、自分たちの予算は削減せずに、農民だけ働かせて生産力を上げてもっと税金をとりたいという魂胆があったりするので、それを見抜いたら報徳仕法の導入を引き受けないんです。これは現在の地域再生にも大いに通じる、重要なプロセスです。
久松 報徳仕法での再生を引き受けたものの、失敗したというケースはなかったんですか。
木下 失敗するケースは、基本的に「分度破り」なんです。最初は「分度を守る」と言っていたのに、ちょっとうまく回り始めると調子に乗って重税を課したり、返済に回すはずの資金を使ってしまって、返済計画が頓挫してしまう。せっかく分度を定め、過去の借金を返済しながら地域金融も稼働させて地域再生への道筋をたてようとしているのに、でもこの徹底はやはり難しいんですよね。
久松 重税では財政再建しないというのは、「ラッファー曲線(最適な税率が政府に最大の税収をもたらすという概念)」みたいな話で、すごく現代的ですよね。