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2015年9月25日

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村中璃子 (むらなか・りこ)

医師・ジャーナリスト

医師・ジャーナリスト。東京都出身。一橋大学社会学部・大学院卒、社会学修士。その後、北海道大学医学部卒。WHO(世界保健機関)の新興・再興感染症対策チーム等を経て、医療・科学ものを中心に執筆中。京都大学大学院医学研究科非常勤講師も務める。

 ファディ氏一家はシリアの首都ダマスカス近郊にあるハラスタの出身。ハラスタは、ちょうど2年前の2013年10月ころから激しい戦闘が米CNNや英BBCでも繰り返し報じられ、壊滅に至った街だ。

撮影・村中璃子

 英語の流暢なファディ氏は旅行会社のエグゼクティブ・マネージャーとして働き、一家は不自由のない生活を送っていた。ところが、2011年、シリア内戦が始まると戦禍はハラスタにも及び、爆撃や殺戮が始まった。

 2012年7月、ファディ氏一家はダマスカスへと居を移す決断をした。ハラスタではたくさんの知人や親せきが亡くなり、生き残った数少ない人たちにも生命の危険が迫っていた。しかし、ダマスカスへ移ったところで状況は良くならなかった。ダマスカスの都市機能は麻痺し、物価は高く、仕事は無かった。

 ファディ氏がダマスカスで始めたのは、自家用車を使った、反体制派の市民向けの私設地下病院への救急搬送サービスだった。

 この病院の医師はたったの2名。机の上にマットレスを敷いてベッドの代わりとした簡素な施設には、連日のように負傷者が担ぎ込まれていた。薬は入手困難で、ブラックマーケットで高騰していた。

 ファディ氏は兵士を対象とすることはせず、あくまでも一般市民のみを対象としたサービスを提供していた。ところが、間もなくして、ファディ氏が反体制派の医療施設に患者を運んでいることが知れると、ファディ氏は政府に命を狙われるようになる。

 「このままでは家族まで巻き添えになる可能性がある」。そう判断したファディ氏は2012年10月、トルコへの逃亡を決意する。ダマスカスからイスタンブールへの直行便はすでになくなっており、ダマスカスからベイルートまでバスで向かい、ベイルートから飛行機を使って飛ぶことにした。今では国際線のチケットが高騰しているベイルートだが、当時はまだ高くなかった。

 イスタンブールでの仕事は、物資を運ぶバンのドライバーから始めた。家を借りる金もなければ保証人もいないため、オフィスで寝泊まりして金を貯めた。2カ月後、湾岸国のかつての顧客から資金を借りることもでき、家族をイスタンブールに呼び寄せた。

 少し金が貯まると、ファディ氏は再び湾岸からの旅行者向けの通訳や旅行案内を始めた。とはいえ、正式な旅行会社ではなく、自宅にいて個人で宿や交通機関の手配をするような仕事だ。家族を呼び寄せるために借りた航空券代を返し、家を借りることもできるようになったのまでは良かったが、在留許可を持たず、許可なく旅行業をしていることがトルコ政府の目に触れると営業を禁止された。

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