イメージ先行に潜む「落とし穴」
「もう二度と『何もしない』ということはしたくないですね」
東京都千代田区の外資系食品企業の執行役員として働く籠島一さん(58)は5年にわたる地方移住をそう総括する。籠島さんは09年、52歳のときに早期退職して北海道倶知安町のログハウスを購入、移住した。同町は外国人スキー客が訪れることで有名なニセコエリアにある。
「これまでサラリーマンとして働いてきて、お金もある程度貯まっていたので、そろそろ『何もしない』という悠々自適の生活を送りたかったんです」
籠島さんは20代のときに、米国でMBA(経営学修士)を取得。帰国してから仕事に身を捧げてきた。家族の同意がなければ、地方移住は難しいが、「二つ返事で了承してくれた」という奥さんと移り住んだ。夏は大好きな山登りをして楽しく過ごしたが、冬になると状況が一変した。
「雪が……すごいんです。1階を埋めつくさんばかりに積もり、家に閉じ込められている感じがするんですよ。気持ちまで滅入ってきたのを覚えています」
籠島さんは慶應義塾大学での学生時分、スキー部に所属したが、そんな籠島さんでも北海道の冬の厳しさは想像を上回っていた。「認識が甘かったんです」と苦笑いを浮かべる。
「何もしない」ことにもすぐに飽きたという。移住後、しばらく経ってから、リゾート会社で働きだしたことを皮切りに、地元高校生の進路指導や和の小物のセレクトショップを開店・経営するなど、様々なところで働いた。どうせ働くのであれば、北海道にいる意味はあまりない──。
14年10月、ついに東京へ戻る決断を下した。「東京は刺激的ですし、こちらでバリバリ働いていたほうが健康的なのかもしれません」と笑う。
神奈川県から北海道に移住した安井雄大さん(仮名)は、「地元住民との人間関係がストレスだった」と明かす。観光パンフレット作成に携わったときのこと、地元住民は「観光客を呼び込む」という発想がなく、「道沿いの古びた看板を紹介しよう」といった提案をはじめ、とても都会の人が魅力に感じないようなコンテンツを次から次へと提案してきたという。
「『観光客を呼び込むことができるような、外から見てこの町が魅力的だと感じるようなパンフをつくりましょうよ』と話しても、『我々が満足いく内容のパンフをつくることが大切だ』といって耳を貸さない。理屈が通じないので、心底疲れました。地方で暮らす場合、『東京基準の上から目線には注意すべき』とよく言われますが、頭ではわかっていても、実際に地元の人と何か一緒にやるとなると、納得できないことも多く、頭で考えているほど簡単なことじゃないですよ」。結局、安井さんは地方暮らしを諦め、東京へ移った。
「テレビでつくられたイメージそのままに移住してくる人が多いんです」
沖縄県読谷村に住む上地康史さんはそう話す。沖縄は北海道と並ぶイメージ先行の地で移住失敗者も多い。
「わたしたち沖縄の人間は、旧盆の前後の時期に、エイサーといって先祖を送りだす盆踊りのような伝統行事があり、練習を含めて、毎日のように夜まで太鼓を叩きます。以前、内地からの移住者から『うるさい』とクレームがきたとき、地元の人間はみな困惑しました。『沖縄の文化に触れたくて移住してきたんじゃないの』と」
イメージとのギャップに加え、実際に生活するとなると、給与水準が低いことや物価が高いこともあり、数年以内に沖縄を後にする人も多いという。