2024年11月21日(木)

Wedge REPORT

2015年11月15日

野球と長崎に恩返ししたかった 
夢は将来を担う子供達のお手伝い

 長崎県佐世保市のハウステンボスから歩いて20分ほどの距離にある長崎国際大学。この大学で地域連携室長として働く栗原邦夫さん(57)は半年ほど前に東京から移住した。目に笑い皺のある日に焼けた顔で、平日は地域住民との交流事業や資料作りに追われ、週末になると、大学の硬式野球部の練習にコーチとして参加する。

コーチを務める長崎国際大学硬式野球部選手と話す栗原さん

 この春まで、大手ビールメーカーで執行役員を務めていた。役員にまで上り詰め、退職はさらに先と思っていた周囲は栗原さんの転身に驚いた。だが本人にとって、34年間勤めた会社を早期退職し、地方移住することは、この先の人生の目標達成を考えたときに不可避だったという。

 最初の転機は10年前、47歳のときだった。大阪、茨城、福岡、長崎と赴任地を巡り、子育て中の妻を福岡の社宅に残しての初の東京本社勤務。都内に住む母親の入院の付き添いで丸一日時間が空いた日、いつかやりたいと思っていた〝私の履歴書〟作りに着手した。

 真新しいノートにそれまでの人生を綴った。野球少年だったこと、憧れの早慶戦に出場したくて中学受験したこと。採用試験前日に立教戦でホームランを打った球場に志望するビール会社の看板があり、面接が盛り上がったこと。入社後も野球を通じた先輩や仲間に助けられたこと……。改めて「これまで恵まれた人生を送ってこられたのは野球をやっていたおかげ」と実感した。ノートの余白を見つめ、会社を辞めた後の人生に初めて向き合ったとき、「野球への恩返しの気持ちを込めて定年後は何かスポーツを通じた子供たちの手伝いをしよう」と決めた。

 以来、年に数回ノートを見返し、学校でグランド整備や球拾いをして過ごす自分をイメージしながら、ことあるごとに周囲に夢を話した。地方移住も早期退職も明確には決めていなかったが、家族が残る福岡に割安なマンションを見つけると、ひとまず購入した。

役員を辞めて赴任地移住 妻とは「ハッピー別居」

 地方勤務をへて東京本社に戻った11年からスポーツを通じた被災地の子供支援事業に携わったことでより一層、思いが高まった。14年4月、一番下の子供から就職内定の連絡を受けたことで、何かに背中を押されるように長崎支社長時代のキーマンに手紙を書き、6月には翌年の転職が内定した。

 なぜ定年まで待てなかったのか。栗原さんは振り返る。「会社も仕事も好きだった。復興支援を含め4年間、営業畑とはまた違う、社会と関わる貴重な仕事をさせてもらい感謝している。だからこそ、子供が社会に出るこの時期に、私を育ててくれた大好きな長崎で、社会に恩返しできる第二の人生をスタートしたかった」。このタイミングで飛び出さないと夢に近づけないという思いがあった。

 いま、大学という未体験の分野で、日々、学生や職員に囲まれ、「10数年ぶり」の実務をこなす。忙しい日々だが、ハウステンボスの向かいに建つ教職員住宅のベランダからは、夏場は花火を、秋はヨーロッパを思わせる町並みと紅葉を眺めることができる。週末になれば野球部の学生とグラウンドに立つ。「こんなに幸せでいいのか」としみじみ感じ入る時があるという。

 子どもの成長や学校の関係で赴任地だった福岡に20年近く暮らす妻は、長崎移住も特に反対しなかった。趣味のピアノを弾く部屋が福岡のマンションにあることもあり、今回も単身だ。だが夫婦ともに、「ほどよい距離感」だという。「SNSができたことでいつでも連絡は取れるし、いざとなれば車で1時間40分あれば妻のもとに向かえる。数カ月に一度は、息子や母が暮らす東京や熊本に集合する。イベント型家族です」。しばらくはこの佐世保での単身移住生活を楽しむつもりだ。


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