日本の庶民文化の基層に横たわるそんな山人の暮らしを25年以上記録しているうち、次第に気になったのが山の怪異だったという。
「似たような怪異譚を、あちこちで聞くんですね。阿仁で狐火と呼ぶものを天川(てんかわ)村(奈良県)では人魂(ひとだま)と呼ぶ。地域で名称が違ったりもします。また、夫婦で遭遇したり集団で遭遇したり。かと思うと、全然信じず体験しない人もいて、これは何だろうって」
かつて囲炉裏(いろり)で語られた「その手の話」が、囲炉裏が消滅した後も(細々ながら)続いているということは、人々の間の欲求がそれだけ根強いということ。本書でも気がつくのは、怪異の今日的な変化(進化?)だ。
田中康弘(Yasuhiro Tanaka)
1959年佐世保市生まれ。礼文島から西表島まで全国を放浪取材するフリーランスカメラマン。『マタギ 矛盾なき労働と食文化』等マタギの狩猟に関する著書多数。
1959年佐世保市生まれ。礼文島から西表島まで全国を放浪取材するフリーランスカメラマン。『マタギ 矛盾なき労働と食文化』等マタギの狩猟に関する著書多数。
狸の仕業(しわざ)とされた伐採音の擬音は、斧(おの)からいつの間にかチェーンソーになり、太鼓囃子(たいこばやし)はダンプカーの暴走音、狐火はUFOへと変わった。
「山岳関係者にとって山小屋を訪れる謎の訪問客は定番なんですが、そういう定番の話は現在もしっかり生き続けています」
田中さんは、先日の講演の後で30代の聴衆から聴いたという真新しい話を披露してくれた。
男性が山で野営していると、すぐ後にテントを張る人がいた。荒い息、うごめくライト。だが疲労のため挨拶を省略し、翌朝出てみるともうテントはない。で、男性は山道を登り始めたのだが、昨夜降った雪道まできてゾッとした。先行者の足跡が全然ない……。
「怪異は心象ですけど、その源泉は山にあるんです」
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