2024年12月4日(水)

それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2015年12月23日

 東武伊勢崎線に乗り、都心から電車で約1時間。館林駅で小泉線に乗り換え、建物も随分と低くなってきたあたり、終点の西小泉駅で降りる。「ようこそ、日本のブラジル大泉へ」という看板がお出迎えしてくれるこの町は、標識などもポルトガル語で表記され、町の様相もどこか異国情緒漂う、まさに「日本のブラジル」である。この地で、瀬間仲は姉とともに日本語の学校を開校した。

 初めての経営、それも、異国の地で。生徒を募集することも、従業員に給料を支払うことも、全てが手探りだった。それでも、その全てを前向きに行うだけの明るさがある。

 開校後しばらくすると、ブラジル料理の軽食を提供する事業を始める。

 「見ての通り、食べるのが好きだから」

 大きな体を触りながら、屈託のない笑顔で話す。ケータリングをしているうちに、東京でブラジルの催し物が行われる際に、お店を出すようになった。毎度、お客さんには好評だった。

 「お客さんが、美味しいって言ってくれる。お店はどこですか? と聞かれるようにもなった。それでお店を出そうと思った」

 15年5月。西小泉の地で、ブラジル料理店「カミナルア」を開店。店名は、この地で知り合った妻の名前からとった。広いホールと、開放感あふれる手作りのウッドデッキには、200人のお客さんが入る。

 内装、外装、そのほとんどは手作りで、ウッドデッキの木材も、この地で築いた人脈を活かして手にした。メニューはポルトガル語表記と日本語表記。日本では見慣れないエネルギー溢れる内装、水槽のピラニアなど、ここにいると本当にブラジルにいるかのように感じる。

 「週末はほとんどブラジル人のお客さん。でも、日本人のお客さんにも来てもらいたいから、入りやすいように外の席も作った」

 取材中、気前のよい奥さんが次々と料理を運んできてくれた。ブラジル料理といえばシュラスコというイメージしかなかったが、様々なメニューがあるものだ。

 名物の「ブラジル丼」は、お米と豆の上に、様々な野菜と肉が乗った、通常なら6人ほどで食べる量であろうボリュームで、なんと1100円。「ブラジルの美味しい料理をたくさんの人に知ってもらいたい」。

 取材中も代わる代わるお客さんが来店する。「まだ営業時間じゃない」と断る瀬間仲の顔は嬉しそうだった。(敬称略)

  
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◆Wedge2015年12月号より


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