Q.企業に対するアプローチはどのように行われているのでしょうか。
企業へのアプローチは、企業側から声がかかることもありますが、こちらから声をかけることもあります。どのようなトレンドや技術革新、そして製品があるのかを日独で調査・情報提供し、場合によってはドイツの企業やパートナーを紹介することもあります。
最近手がけた中ではQDレーザという会社によるメガネ型のウェアラブル端末「レーザアイウェア」に注目しています。これは微細なレーザーで内蔵の鏡に映像を投影し、その反射により網膜に直接イメージを映し出せるもので、装着者の視力に左右されず使用出来るため、近眼や老眼、視覚弱者など視力に問題を抱える方にとっては画期的な技術です。
日本では医療機器の認証に時間がかかるため、最初は福祉機器として販売する予定です。しかし、このような最先端の技術を駆使し、人のために役立つ画期的な製品は、日本とドイツで並行して申請を進め、遅れを取らないことが重要と考えています。いかに技術的に優れたものであっても、まず日本で地場を固めてから海外に売り込もうとするのでは、その間に競合が現れて先に海外マーケットを占有されてしまいます。グローバル市場においてはスピード感がなければ競争に打ち勝つことはできません。
さらに企業の誘致や市場参入のサクセスストーリーをつくるために必要な視点は、ステークホルダーやベストパートナーといったさまざまな要素を整理し、その上でどの要素が最も重要であるか判断することです。QDレーザの事例では、日独の放射線治療のプロジェクトをすでに手がけていた関係で、目の中に出来る癌治療の専門医(NRW州大学病院)の方をQDレーザへとスムーズに紹介できました。
また、日本とドイツという異なる国家間で事業を行う際には、信頼と適任が重要です。紹介できたとしても実際に話してみないと信頼関係の構築はできず、さらに適任ということについては、必ずしも技術的な意味でのナンバーワンのパートナーを求めるよりも、日本の会社や習慣に対応できる相手であるということの方が望ましいと言えます。それからそのダイアログをタイミング良く、ステップ・バイ・ステップで継続させることです。
Q.ロエルさんは日本に対して理解をお持ちであるように感じますが、それは日本出身というバックグラウンドによるのでしょうか。
確かに、ロエル家と日本との関係はすでに戦前から始まっています。父は1937年にイエズス会の神父見習いとして初来日し、戦時中の1943年、船でドイツに帰国する途中捕虜になり、終戦後ドイツに帰りました。その後外交官になったことをきっかけに再来日し、1955年に私が生れ、5歳まで東京に住みました。しかし、その時の思い出は微かにしか記憶していません。
ドイツで高校を卒業した後、父が大阪のドイツ総領事となり、再来日しました。日本への興味が湧き、日本語の勉強も始めました。生れは東京でしたが、このときに関西に住むこととなり、京都や奈良といった東京と異なる日本を知ることが出来たのはラッキーでした。その後は帰国し、ドイツの大学で学びましたが、日本へ留学し、いつか日本で働きたいと願っていました。最初に就職した銀行の仕事で度々日本と関わりがありましたし、現職でもその思いを実現させることができました。
Q.日本とドイツは第二次大戦における敗戦国であるという共通の歴史を持ちますね。
ドイツは二度の大戦を経て敗戦国となりました。しかし、戦火を交えたフランスやポーランド等の隣国とも青年同士の交流や教科書の共同検証等を進め、積極的に和解のため尽力してきました。
他方、国家の関係性とは世代間で変わる生き物のようなもの。それぞれの世代は、将来的にも安定した親善関係を維持するために努力を続けていかねばなりません。これは、今のヨーロッパでも東アジアでも必要なことかと思います。