2024年11月22日(金)

足立倫行のプレミアムエッセイ

2016年1月23日

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性に関し豊かな文化築いた日本人

 その本には、他に中国やインド、ヨーロッパ各国の歴史的な好色絵画や図版が多数収められていた。だが日本の春画と比べ、それらの絵がいかに単純で直截的すぎることか。

 多くの国の好色画は、王宮の性交、多数(の女)との性交、異なる場所での性交、暴力的な性交、の範囲をほとんど超えない。性器のアップや接合部のアップはあるが、それは単なる生殖器の拡大であり、さまざまな形の性器を面白がったり、性器に手足をつけて擬人化したり、性器を地形に見立てたりといった「遊び心」、性を遊ぶ余裕がないのだ。

 1970年以前の日本はまだ貧しく、若い貧乏旅行者だった私は欧米の物質文明に行く先々で劣等感を覚えていたけれど、春画を見てその悔しい思いが幾分か薄れた気がした。

 我々の先達は、人間活動の根幹である性に関しかくも豊かな文化を築き上げていたのか、という誇りに似た気持ちが湧いてきた。

 今回の〈春画展〉でもう一つ感じたのは、着物の種類や模様・色合いや髪型・部屋の調度品や小道具などが熟練の技術で描かれて、生活感が溢れていることと、そんな舞台に登場する女性がすこぶる大らかで、男性以上に性を謳歌している場合が多いことだ。

 初期のものでは好色な法師が女房の局に侵入したところ逆に女房らの快楽に奉仕する羽目になる絵巻(『袋法師絵詞』)があるし、全盛期の北斎には男の亀頭に筆で「御ぬし」と書く女(『喜能会之故真通(きのえのこまつ)』)がいて、歌麿では騎乗位の女が男の上で三味線を弾き(『絵本笑上戸』、後期の渓斎英泉(けいさいえいせん)でも、男に抱きつかれた振袖の娘が「きつくつきのめしておくれ」と言った後、「おまへハはじめてだとおもっておいでか わたしはいろが五人あるよ」と台詞でケロッと言ってのける。

 圧巻は月岡雪鼎だった。雪鼎の『四季画巻』や『青春秘戯図巻』では、男女は恍惚として手を握り、抱き締め合い、脚をからめる。顔をのけぞらせ唇を半開きにした女の愉悦の表情。そしてホワッとした陰毛の中の互いの性器のみが上気し赤らんだ肉色で、接合部のあたりに白い分泌物が乳のように飛ぶ……。まさに男女同等の喜悦だ。

 江戸中期の雪鼎は大坂画壇の礎を築いた人らしいが、その存在を知り、代表的肉筆春画を見られたのは何よりの収穫だった。


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