性を肯定した人間観
春画における女性の性愛の悦びについては私と同年代の宮迫千鶴さん(画家・評論家)がかつて『官能論』の中で書いていた。
宮迫さんはタヒチ在住の作家・坂東眞砂子が春画に触発されて書いた官能小説を紹介し、春画の世界にはセックスへの罪悪感はなく、性を肯定した人間観がある、と記す。
「ここでは男も女も、妻も遊女も、娘も年増も、“その気”になった自然さを生きている。“その気”から“目と目が合い”、“まぐあい”へと官能の波は遮るものがなく流れていく」
坂東は、現代では頭と体の感覚が切り離され「肉感としての性が貧困になった」と見るが、宮迫さんも江戸時代には自然が身近にあったからこそ「人間の中に残っている自然としてのセックス」が息づいていたと書く(そう記した宮迫さんは2008年、坂東さんは2014年、それぞれ病没している)。
帰路、我々はバスで目白駅に向かった。
「若い女性の肩越しに歌麿の絵を見た時は、何かドキドキしちゃったよ」
「私も、人込みを掻き分けて最前列に行ったら右も左も小父サンで、そういう形で一緒に見るの、何かヘンな気がした」
「で、全体の感想はどう?」
「言わない。だって、エッセイか何かに書くつもりでしょ? イヤよ」
我が家では、別に浮世絵春画の麗しい文化を継承しているわけではないが、女性はなぜか自律的な力を持ち、とても自由である。
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