就活に悩み、人生の転機を迎える
秋田大学工学資源学部機械工学科に進学した阿部は、空手道場の内弟子として道場に住み込み、勉強と稽古に励んだ。空手を始めたきっかけは、第一志望校の受験に失敗したからだ。
「宇宙物理学を目指していたのですが、受験に失敗して、心が折れてしまって、そのはけ口として空手を始めました。学生生活はそれなりに充実していたと思います。でも周りが就職活動を行う時期になっても、僕には入りたい会社もなければ、機械工学を究めようという考えもありませんでした。自分はこれからどのように生きていけばいいのか、その選択肢すら持っていなかったのです」
悩み抜いたときに、幼い頃に冒険家に憧れていたことを思い出した。だが、大学3年生の阿部には、「冒険」というものが、現実的なものには思えなかった。
ただ、その思いは絶ち難く、現代の冒険家たちのインタビュー記事を読んでいると、極地冒険家で「アースアカデミー大場満郎冒険学校」を主催する大場満郎氏の言葉に衝撃を受けた。
「それは『なぜ大場さんは冒険をするのですか?』というインタビュアーに対して『人生は一度しかないから、笑って死ねる人生を送りたい。そのために冒険をするんです』と答えていたからです。僕はそれを読んでショックを受けると同時に強く惹かれました。もし、僕が冒険家の道に進まず、なにげない生活を送ったとしたら、後になって、なぜあのときにやりたい道に進まなかったのかと一生後悔すると思ったのです」
その直後、阿部は山形の大場のもとへ手紙を書いた。その内容は「僕は冒険家を目指しています。そのためにはなんでもしますから働かせてください」というものだ。
母親とは大喧嘩になったが、家を出るようにして大場のもとへ駆け込んだ。大学には休学届けを提出していた。
冒険学校では、事務作業や施設の管理、子どもたちの世話などをしながら、冒険のためのトレーニングを積み、知識を学んでいった。
人生最初の冒険は、南米大陸単独自転車縦断への挑戦
阿部の冒険は「自力(人力)」と「単独」がキーワードである。何が起ころうとも全ては自己責任であるという冒険家としての覚悟の表れだ。
最初の挑戦は「南米大陸単独自転車縦断」だった。エクアドルの赤道記念碑をスタート地点として、アンデス山脈を南下し世界最南端のアルゼンチンのウシュアイアの道が終わる地点をゴールとした。距離にして約1万キロを300日掛けて走破する計画を立て、290日で達成した。
途中、道のない高所砂漠地帯で自転車を押しながら延々と登り続けたことや、2千メートルのダウンヒルを一気に駆け下りたこともある。街中では何度か強盗に襲われた。また、こうした長期自転車旅行では食事のとり方や水の補給に苦労することも多い。ここにはとても書き切れないが、まさに命がけの冒険だった。
阿部はその後、秋田大学に復学し、優秀生徒賞を授与され卒業を迎えた。その後、浅草で人力車を引く仕事に就いた。理由は日本文化を勉強しながらトレーニングにもなり、さらにはお客さんと接することによってコミュニケーション能力が高まると考えられたからだ。日本人はもちろん海外からのお客さんも多く、まったく理解できない言葉で話し掛けられることもあるが、そんな時ほど至福の時間なのだ。
阿部はこうして資金を稼ぎながら、新たな冒険へとチャレンジしていった。