今回の会談で、「同盟に深化を求める」と言ったのですから、具体的な行動でその方針を支えていく必要があります。そもそも、この新しい民主党政権が、日本の安全保障の問題で何をすべきなのか、あまり体系的に語っていません。それなのに、「対等な日米関係」とか「アメリカに頼り過ぎない日本」という抽象的なことばばかりが出てくる。
共和党政権と違って、オバマ大統領の民主党政権は、日本の民主党政権と近いところがある。力の外交というよりも対話の外交で多国間主義であり、国連などの国際組織を重要視する。それから、第三世界に対する援助といったグローバル・パートナーシップを結ぶことや環境問題や核削減のことなども積極的です。日本も、自民党よりは民主党のほうが、相対的には力を入れている。だから、いまの日米外交のスタンスは、近いものであるようにも思う。せっかくそういう政権同士なのだから、うまく協力できるポテンシャリティがあるはずです。しかし、今回のように、訪日後に普天間問題についての合意を覆す発言をしたりすれば、その可能性がどんどん低くなる。鳩山政権は損をしています。
“非対称”から始まっている日米関係
また、日米関係における「対等」とは、とくにわかりにくいことばです。たとえば軍事力のレベルで日米の能力は明らかに違う。日本が第三国から攻撃されたら、アメリカに守ってもらうしかないでしょう。でも他方、日米はお互いに対等な主権国家として議論をし合い、日米安保条約を結んだわけです。けれども、日本については集団的自衛権の問題もありますが、互いの国が攻撃された場合に、どうやって助けるのか。事情をよく知らないアメリカの一般人には、なぜアメリカが日本を守る必要があるのか、不思議に思う人もいるようです。
普通は、日米の安全保障上の関係を考える順序というのは、「対等であるべき」という題目から始まるのではなくて、たとえば「日本にとって、何が安全保障上の脅威であるのか?」が出発点となり、「日本はその脅威を、どの程度独力で排することができるのか」という問いへとつながる。そして、もし独力では対応できそうもないということであれば、同盟国の支援を頼む必要性が出てくる。本来はそういう順序なわけです。だから、順序の面でも分かりにくい。
こうした問題がなぜ出てくるのかと言えば、そもそも日米安保条約に記された権利と義務の関係が分かりにくいからです。古今東西の同盟条約のパターンというのは、二つの国があってどちらか一方の国が攻撃された場合には、もう一方の国が助けるとかなっていて、それを相互に約束し合う。だから、一般的には、権利と義務は対称的なものとなります。
日米安保条約の場合は、日本にとっての義務とは日本にある基地をアメリカに使わせること。権利は、日本が有事の際にはアメリカに守ってもらうこと。アメリカはこの逆で、日本の基地を使う権利があり、日本有事の際には日本を守る義務がある。ただ、アメリカの場合はもう一つの権利、ある意味では最大のメリットがあって、日本の基地を朝鮮半島を中心とする極東の平和と安全のために使うことができるんです。他方で、アメリカが有事の際に日本が何をすべきかが書いていない。とくに条約上の義務はありません。このような関係において、鳩山首相のように「対等」ということばを持ち出して日米関係を変えようとすると、何を基点にするのかが分かりにくいのではないでしょうか。
――そうした非対称な関係を変えるべく、アメリカは対日関係を「親子関係からパートナー関係へ」移行させようとしています。
前・駐日アメリカ大使のトーマス・シーファーなどは「日米同盟における防衛義務は片務的である。これを双務的関係にしていきたい」と発言しました。これは、厳密には「非対称的」「対称的」と表現されるべきものです。