店を始めたのが2002年、34歳の時。店を閉じたのが4年後の06年。多田を救ったのは、金谷とともに力を注いでいた病院食、嚥下食などまさに地道に食を楽しむための手助けだった。そこから紙を一枚ずつ積み重ねるような努力をして、人間関係を築き、信頼を得て、仕事をする楽しみを初めて知ったと多田は言う。
「ある会合で、面識のあった有名店のシェフにばったり会ったんですけど、いい笑顔してるねなんて言われました。いま振り返ると、自分でもいかに薄っぺらだったかって思います。苦労してきたつもりでも、自分の足で立っていたわけじゃなかった。親や祖母の援助を受けて、有名になりたいとか脚光を浴びたいとか、それが成功だと思っていたけれど、結局は身の丈(たけ)で生きていなかったんですね」
そして、ずっと距離をおいてきた父親と話ができるようになったと笑った。
「人が必死に生きていくことの大切さをかみしめています。逆境もすべて、自分の心に原因があっての結果だったと思います。いまは、おいしく食べてもらえることが自分のエネルギーになって、何か喜びがとても深いんです」
いままでにないエキサイティングな毎日を過ごせていると話す多田の表情は穏やかだった。両親の愛を奪った弟への複雑な思いや夢を捨てた父への反発から、逃げるように遠ざかろうとしていた原点に、40年以上の年月をかけて戻ったゆえの安らぎなのだろうか。料理の楽しさを多田に教えてくれた祖母は、6年前、はちみつとオリーブオイルを混ぜ合わせたワンスプーンにOKサインで喜びを伝えて旅立ったという。
コックコートと高くそびえるコック帽ではなく、エプロン姿が似合うフレンチシェフとして、最後のワンスプーンまでおいしい食の道の伴走者でいてほしい。そう願いつつ、院内の厨房に戻っていく姿を見送った。
(写真・中庭愉生)
ただ たくすけ/1968年、東京都生まれ。18歳で渡仏し、ル・コルドン・ブルー・パリで学んだ後、パリの一流レストランで修業を積む。92年に帰国、レストランや厨房機器メーカー勤務を経て、02年にフランス料理店「ユリス麻布十番」を開店。06年に同店を閉店し、現在は医療・福祉の現場を中心に幅広い分野で食のコンサルティングを行う。
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