●しかし、テープ起こしなんて自分でやらなくてもよかったのでは?
――いやいや、そうはいかない。内容の問題があるから、素人さんに頼んでもむだになってしまう。禅学の話がわかる人でないととんでもない文面になるから。「臨済破夏の因縁」というのが「臨済禿の因縁」てな具合になってしまうわけだ。タイピングもやりながら覚えた。それをやることで字の読み方とかもどんどん覚えていった。いま思えば、この間にずいぶんいろんな知識が身に付いたんだ。毎日朝から晩まで何年もやったこのテープ起こしが、いまの研究につながる原点だと思う。
やがて、コンピュータが発展して漢字処理もある程度できるようになった。そこで、禅文献のデータベースづくりをした。禅文献はむちゃくちゃ膨大な量がある。こんなんを自分で入力してたんでは、一生がそれだけで終ってしまう。そこで、入力を中国ですることになった。しかし、そのころの中国のIT事情は、まず現在からは想像のできんような、惨憺たる状況だった。試行錯誤をくりかえし、ともあれ、かなりの分量のデータベースをつくることができた。このデータベース構築ということでは、当時はかなり先端的だったと思いますよ。
下・索引の中面
そして、そのうちに基本的ツールとして索引づくりをするようになった。当時の禅学というのは、何年も大量の禅文献を読んで来られた大家でなければ、研究はできないと考えられていた。とにかく、年季がかかるんだ。だから、初学者のための参考書、工具書(ツール)なんてものは皆無だ。何十年も禅文献を読んで来た大家の先生が個人的に作り、個人的に使っているカードが唯一のツールだったが、これは公開されているわけじゃない。初学者が研究を始めようにも、とりつきようがないんだ。
そういうツールがほとんどないもんだから、自分自身もほとほと苦労したんだ。そこで、これから勉強する人にとっても、どうしてもその種の道具が必要だと思った。
そのころ、京都大学人文科学研究所からは、東洋学文献の各種索引が出されていて、よく利用されていた。ほとんどすべてが一字索引であったけど、それは部首別画数順で、まことに使いにくかった。しかも、一字索引なんてものは、パソコンとデータがあれば、機械が瞬時に出してくれる時代だ。
そこで、そういう一字索引ではないものを目指した。つまり、熟語でひけるもの。漢文というのは、字と字が結びついて、ある意味をもった熟語ができるという仕組みになっている。しかし、1字ずつなら機械にまかせておけば自動的にできるが、熟語となると人間が頭を使って判断し作業しないといけない。そこが大変だ。そこで、伝統的な注釈書の写本などを集めて、そういうものを参考にして、語彙索引をつくる作業をひたすら続けることになった。そんな中で、先人の残した研究内容も身につけることができたんだ。
※後篇に続く
◎略歴
■芳澤勝弘(よしざわ・かつひろ)
花園大学教授、同国際禅学研究所副所長。1945年長野県生まれ。同志社大学経済学部卒業。花園大学専任職員、財団法人禅文学研究所主幹を経て現職。
■修正履歴
4ページ目写真キャプションと最終段落
「無文導師」は、正しくは「無文老師」」でした。お詫びして訂正致します。該当箇所は修正済みです。(2012年9月27日15:20)
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