京都府立洛北高校にスポーツ推薦で入学、最初のトライアスロン挑戦で見事に初優勝を果たし、上田の将来が決まる。高校卒業後、母親が専門誌で稲毛インターナショナルトライアスロンクラブを探しだし、父親が経営者兼指導者の山根英紀に入会させてほしいと直談判、ここで上田の進むべき道は固まった。
五輪のトライアスロンはショート・ディスタンスでスイム1.5キロ、バイク40キロ、ラン10キロ(別名オリンピック・ディスタンス)。女子の優勝タイムは平均2時間前後で、マラソンの世界記録よりも短い。体格に優る外国人がスイムやバイクを得意とする一方、155センチ、44キロと小柄な上田は最後のランで一気に勝負をかけるタイプ。トライアスロンの普及にも熱心な上田は取材を受けるたび、「スピード感のある展開の中に様々なタイプの選手がいて、いろんな駆け引きがあるんですよ。そういうレースの面白さをもっとたくさんの人に知ってほしい」と目を輝かせて言う。
私には8年必要だった
五輪初挑戦だった08年北京では2時間2分19秒09で17位。金メダルの選手とは3分51秒43の開きがあり、世界との差を痛感させられながら、上田はフィニッシュの直後に「ロンドンを見ていてください!」と山根に宣言。その言葉通り出場を果たした12年ロンドンでは2時間6分34秒の39位に終わったものの、やはりゴールしたその場で山根に言っている。「4年後のリオで世界に追いついて見せます。北京から4年では足りなかった。私には8年必要だったんですよ」と。
有言実行の上田がリオで「3度目の正直」のスタートラインに立つ。この際、メダルは何色でもいい。表彰台に上がってほしい。
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