――あまりにも自己中心的なものの考え方や、感覚のズレは大きな問題が潜んでいるように思えます。善悪以前に人を形作る道徳心というのは、幼いころから家庭で育むものだと思うのですが、そうした少年たちの家庭環境で特徴的なものはありますか?
少年院に入ってくるような子たちの家庭環境ですが、一般的には両親が離婚して、家族の形が変わって愛情が偏ったり、躾が行き届かなかったりして少年が道を外れていくイメージが多いかと思います。現実にはそういったケースが多いのですが、近年は大学生になっても少年院に入って来てしまう子もいますし、その子の親に会うと常識的で、子どもを思う気持ちも十分にあって、というケースに出会うことも多くなってきました。
こうした近年の傾向から感じることは、少年犯罪は何も特殊な環境の中から起こることではなく、どこの家庭でも起こり得るものなんだということです。
これは教官として日々子どもたちと接し、その両親と直接会って感じることです。決して別世界のことではないし、他人事ではないということです。
――家庭はしっかりしていて、親の愛情も受けて、善悪をきちんと理解していながらも、それを抑えきれないということですね。
自分は誰かに支えられているだけではなく、誰かを支えている側でもあること、必要とされている人間なんだということを理解させなければいけないんです。こういった子の場合、周囲とのコミュニケーションが上手く取れていなかったり、何らかのコンプレックスを抱えているケースが多いのです。
家族の形はしっかりしていても、両親との会話が少なかったり、会話があったとしても、子供側からするとわかってもらえている実感がないといったことがあると思います。
もちろん全て話せというわけではないんです。でも最低限のコミュニケーションが取れていないと、見守られている安心感が持てません。やはり、家庭は話しやすい環境でなければいけないということです。
――コミュニケーションというキーワードが出てきましたね。
特殊詐欺で入ってくる子たちの場合は、会社でも学校でも人間関係が上手く築けなかったような子たちでしょうね。もやもやしているところへ、すっと(魔が)忍び寄ってきて、すっと犯罪をして、すっと少年院に入ってきてしまって、それが自分でも信じられない。もちろん親も子どもが起こした事件に驚き、受け入れることができない。こんな言い方をすると軽く聞こえてしまって誤解を招きそうですが、短期間でそうした流れで少年院送致になっているケースが近年多数見受けられます。
実はこうした子たちには荒れていたときがないんです。でも、人とのコミュニケーションによる問題を長い間抱えていて、もんもんとしながらも、それでも上手くやっていかなければいけないという気持ちで自分を抑えてきたのでしょう。表面上はわからなくても、流されていく土壌には、長い間の積み重ねがあったということです。