亀井君の政治の原点は、まず何といっても、故郷(ふるさと)にあると思います(このコラムの第19回「高校同窓生からみた亀井静香氏(その5)」をご覧ください)。
しかし、この亀井君の熱唱をみると、故郷と並ぶ大事な原点として、「お母さん」があるのだろうと思います。
「どんがめ」と「どぶっこ」
第19回で紹介した週刊ポストの記事によれば、亀井君は小さいころ、「どんがめ」と呼ばれていたそうです。
「どんがめ」で思い出すのは、「どぶっこ」です。
私の出身校である東京都立大泉高校は、男女共学で、男子3に対し女子1くらいの割合でした。2年のときに転校してきた亀井君は、広島弁で田舎まるだし、女子生徒の話題の主でした。どっとはやされたり、くすくす笑われたり、本人は結構辛かったと思いますが、気丈にふるまっているようにみえました。
そういう女子が多いなかで、温かく見守っていた何人かのひとりがK・Hさんです。転校してきたころは成績がよくなかった亀井君は、どこでどう努力したのか3年生のころになると1ケタ台の順位に常に入るようになっていましたが、同じくらい成績がよかったのがKさんです。
Kさんと私の家は、西武池袋線桜台駅近く、道路隔てたお向かいさん同士でした。Kさんの家はとても大きな家で、私の貧乏な家では食べられないものを頂けることもあって、私はよく遊びに行っていたのですが、私はKさんの家族に「どぶっこ」と呼ばれていたそうなのです。
「そうなのです」というのは、最近、Kさんにそう言われるまで知らなかったからです。こんなひどいあだ名がついた原因は、私の母にありました。母は、Kさんのお母さんに「昭はどぶで拾ってきた子です」と言ったのだそうです
※画像かこちらをクリックするとか拡大します
私は、母が41歳のときの子ですから、母としては気恥ずかしかったのでしょう。「どぶ」とはひどい話ですが、それでも、男の子にとってはやっぱりお母さんです。
このコラムの第12回で書きましたが、戦前、父が無職になって、もっとも家計が苦しいときに、生命保険の外交員となって3人の子どもたちを育てたのが母です。母が営業成績優秀者として、日本生命からもらった表彰状と記念品(プラチナの腕時計)は、いま、我が家の家宝となっています。