2024年11月22日(金)

それは“戦力外通告”を告げる電話だった

2016年8月22日

 野村監督の指導は次第に野球へとシフトしていく。

 「本能だけでここまでやってきたんだから、確かにオマエは天才かもしれない。ただ、年をとると力も技術も落ちるんだ。だから、頭を使え」

 同じワンストライクでも、見逃したのか、空振りをしたのか、タイミングは合っていたのか、読みは当たったのか、そこには無数のストーリーがある。キャッチャーはそれを見て次の配球を考える。ただの1球ではなく、その経緯を知ること。その打席で出る結果に根拠を持つこと。とにかく、山﨑にとっては全てが新しい考えだった。

 「野村監督の教えは、実はすごくシンプル。例えば、三振したのならその根拠を考えて、頭を整理しろ。それでダメなら、練習しろ。練習してもダメなら、野球を辞めろ。単純なことだけど、これですごく楽になった」

 楽天3年目の07年。43本塁打、108打点で、11年ぶりのホームラン王、ベストナインを獲得し、初の打点王のタイトルも獲得した。戦力外通告を受けた後、ホームラン王を獲得するのは、異例中の異例である。21年目、39歳で見事再ブレイクを果たした。

 「野村監督ともっと早く出会っていればもっと打てたって言う人もいるけど、それは違う。若いときには、何を言われても耳を貸さなかったと思う」

 ただこれだけは若手に話している、と言って付け加えた。「人の話を聞く重要さには、早く気づいた方がいい。そのほうが、早く稼げるから」。

 楽天で7年目の11年。史上2人目の40歳台での100本塁打を達成し、また、史上17人目の通算400本塁打を達成。しかし、若返りを図るチーム方針で、来季の構想から外れていることを星野仙一監督から告げられた。同時に、球団からコーチとしての要請も受けた。

 「わかりました。辞めます。ただ、現役は辞めません」

 辞め方は自分で決める。自由契約を志願し、自身二度目の戦力外通告を受け、同年12月、古巣中日へ移籍した。

 中日で2年目の13年7月、シーズン二度目の2軍降格を告げられた際、山﨑は引退を決めた。27年に及ぶ現役生活に、自らピリオドを打った。

 ユニフォームがスーツに変わっただけで、迫力はそのままに、現在は野球解説者として活動している。大勢の人の中にいても明らかに目立つオーラは、隠すことができない。

 「いずれは、現場に戻りたいね。もちろん、12人しかなることのできないポジションで。そりゃあ、中日か、楽天か、ま、オリックスでね」

 いたずらっぽくそう言って、豪快に笑った。(敬称略)

  
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◆Wedge2016年8月号より

 


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