オトナの教養 週末の一冊

2016年8月3日

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本多カツヒロ (ほんだ・かつひろ)

ライター

1977年横浜生まれ。2009年よりフリーランスライターとして活動。政治、経済から社会問題まで幅広くカバーし、主に研究者や学者などのインタビュー記事を執筆。現在、日刊サイゾーなどに執筆中。ブログ:http://golazo-sala.cocolog-nifty.com/pinga/

中原:ただ、ブチキンなどの中には、テーブルを囲んで行なわれるサンバや生演奏に合わせお客さんが歌うことを売りにしている店もあります。また有名人が集うようなブチキンであっても客を選ぶようなこともなく、平等さが根付いています。

 リオの中心部にサンバや夜遊びカルチャーの中心地であるラパという街があります。そこにライブ終わりのミュージシャンたちがよく集まる居酒屋があり、そこでは出来かけのオリジナルの楽曲をミュージシャンたちが互いにセッションするうちに、1つの楽曲が誕生するという伝統が80~90年前からありますね。

――リオといえばサンバが有名ですが、幼い頃から始めるものなんですか?

中原:サンバカーニバルに出場するチームの本拠地はファベーラと呼ばれる貧しい人たちの居住区にあり、それぞれ地域コミュニティに深く根ざしています。そうした場所で育った人たちは幼い頃から、下手をしたらお母さんのお腹の中にいる頃から慣れ親しんでいて、3~4歳の女の子でもカッコイイステップを踊れますし、ちゃんとしたステップが踊れなくてもテーブルやお皿を叩いたりしてリズムを表現できますね。

――ファベーラ以外の地域で育つとサンバには参加しないのでしょうか?

中原:確かにコパカパーナやイパネマのようなアッパーミドルクラスの人たちが多く住む地域の子供たちはそういう環境で育っていません。ですが、だからといってサンバと縁がないわけではない。リオは街中にサンバと接する機会がありますから、自分も踊ってみたいとなる。ただ、そういう子供たちがファベーラまで行って、チームの門を叩くのは敷居が高いですよね。自宅のメイドさんの実家がファベーラであれば、チームに入ることも出来ますし、そうでない人たちのためにサンバのワークショップも開かれています。そういったところは時代とともに変わってきている。

 実は僕が初めてブラジルを訪れた85年頃はサンバが低迷し、英米の影響を受けたロックの全盛期でした。その後、パゴーヂと言う、ビールを飲みながら、テーブルを囲んで気軽に歌うサンバのスタイルが一気に浮上し、00年代に入りラパという中心部の復興と共に新しい世代が出てきたんです。

――最近日本でもブラジルの肉料理「シュハスコ」(ブラジル・ポルトガル語読み。日本では一般的に「シュラスコ))のレストランが増えました。本場と日本での大きな違いはありますか?

中原:肉そのものの違いもありますし、日本のシュハスコレストランにもあるようなサラダバーの種類と量は日本の倍以上。サラダバーだけでお腹いっぱいになるくらいです。

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