2024年11月22日(金)

Wedge REPORT

2009年12月20日

 自治体はぶつぶつ言いつつも、結局は、国に「おんぶにだっこ」でやってきたのであり、今もって中央集権=中央に依存することから脱却できずにいるように見える。

 いずれにしても、国による義務付け・枠付けの見直しが具体化された瞬間から、自治体は国の力を借りることなく自分の力で条例を作ることが求められることになるが、それによって「地域の実情に合った最適なサービス」が提供され、「最善の施策」が講じられるようになるとする勧告は、楽観的というよりほとんど無責任な議論ではなかろうか。

 すべてのツケは住民に直接返ってくる。市町村の実力に見合った制度改革を本気で議論すべき局面に入ったというべきである。

分権進んで国滅ぶ?
 国際的視点の欠如

 地方分権論議における問題設定は、つまるところ、国が持っている権限・財源を地方に移譲するということであり、国―地方関係がその基本的な思考軸となる。そのため、分権論議の中で語られる「国」とはあくまでも「地方から見た国」であり、その関心と視点はどうしても日本国内部の事柄に集中する傾向があり、その議論は総じてドメスティックである。

 そこでは国際社会における日本国の立ち位置がどうあるべきかという国際的視野が欠けており、また、制度論が中心に展開されるため経済的な観点が決定的に弱いという問題がある。
具体例をあげよう。島国である日本は周囲を海に囲まれた四方環海の国であり、海は国際社会と接する場として、わが国にとって最重要のテーマのひとつであるはずである。

 ところが、わが国の法制には「海」という観念が明確には存在しておらず、これは戦後の占領法制と関連しているのであるが、07年に議員立法で海洋基本法ができて、この点に少しだけ関心が払われた。海に関わる法律として、海岸法、港湾法、漁港漁場整備法などがあるが、いずれも護岸整備などの工事行政に関心を置いたもので、陸地の延長として海岸線を捉えるにすぎない。

 しかし、海に関する議論は、グロティウスの時代から発展した濃密な国連海洋法条約があり、国際的視点が不可欠であることに加え、沖ノ鳥島・竹島、東シナ海の油田開発や不審船事例・海賊問題などの例をあげるまでもなく、「国益」と直結した分野であり、利害関係は輻輳し、問題は政治的で複雑を極める。

 第3次勧告は、国の関与を排除して地方の自由度を高めるという文脈で道路、河川、港湾を同じ並びで扱っているが、道路や河川は純粋な国内インフラであるのに対し、港湾は国際社会の出入口であり、国際物流の拠点であって、国際競争力を強化するという発想なくしては論じ難い性質のものである。

 港湾法は1950年に制定され、GHQの方針に基づいて徹底した「民主化と分権化」を体現しているため、分権との関係では「理想的な法律」とも言われる。一般に、入港料は港湾管理者である自治体により定められるが、第3次勧告は入港料にかかる国土交通大臣の協議・同意を廃止すべきであるとする。

 しかし、港湾経営の中核をなす入港料は、主要顧客である外国船舶の動きも勘案しつつ、韓国や中国などの隣接国の主要港湾との競争を意識して設定されなければならない。

 国際空港についても同様の問題があるが、港湾は出入国管理や検疫、関税措置などの国境を越える多様な行政が展開される舞台であり、港湾の抱える課題は一自治体で処理しうる範囲を超えているため、地方分権という切り口の有効性は限られている。


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