透けて見える 地方の本音
改革派市長で知られた福嶋浩彦・中央学院大学教授(前我孫子市長)は言う。「お金は欲しいが、責任は欲しくないが多くの自治体の本音だ。そんな自治体にとっては、使い方に責任を持たねばならない自由に使える金より、ひもつきの金のほうがありがたい」。
よく「国の口出しで地方は不自由」と指摘される。もちろん国も問題だが、地方の「甘え」は見逃せない。分権は、国の義務付けを少しずつ緩和し、各自治体が中身を決め(立法)、責任ある執行を行い(行政)、自ら金を工面する(財政)実行力を育むしかない。トライ&エラーが必要で時間もかかる。
最後は、何でも国会議員やメディアを通じて国に要望を上げてきた国民に帰する。民主党は霞が関たたきと地方分権をセットで語るが、国民のお上意識こそが、国の強い権限を作った面を忘れてはならない。地方自治は住民にとって決して簡単なことではない。国に文句を言って溜飲を下げる民度では地方分権は難しい。
次に分権を受け止める側の地方の実情を見ていこう。まずは、立法の主体となる自治体の能力である。
問われる 自治体の立法能力
参考となるのが、宝塚市で起きたパチンコ出店訴訟だ。商業地域以外でのパチンコ店の出店を条例で禁止していた宝塚市は、結局条例改正を余儀なくされ、パチンコ店を出店しようとした業者に損害賠償として約4億9000万円を支払うこととなった。
宝塚市では1983年に住民の意向を受けて「宝塚市パチンコ店等、ゲームセンター及びラブホテルの建築等の規制に関する条例」を制定した。92年、業者がパチンコ店建設の同意申請を行うと、条例に基づき不同意とした。それでも、94年に業者が建設に着手したため、市が訴訟を起こした。
パチンコ店の出店を「商業地域」と限定した市の条例は、パチンコ出店に関わる風営法に基づく県条例などの上位法よりも厳しい規制となる。97年の神戸地裁判決、98年の大阪高裁判決はともに、条例が風営法等に反するとして市の請求を棄却した。そして、2002年7月の最高裁判決では、「裁判自体が不適法」とされた。
つまり、行政が国民に対して、裁判によって行政上の義務履行を求めることはできないという門前払いで、条例の是非について触れられなかったばかりか、行政にとっては裁判という手法まで失われることとなってしまった。
この間、業者側は市によるパチンコ店の建設工事差し止めによって損害を被ったとして逆提訴し、07年に最高裁で宝塚市の敗訴が確定。市は利子分を含めて約4億9000万円を支払うこととなった。そもそも条例そのものに不備があったという結果だった。
最高裁判決後、宝塚市は、条例の改正に乗り出した。だが、もっと前に打つ手はあった。都市計画法には、住宅、商業、工業など「用途地域」が定められている。ただし、地域の特性に配慮するという観点から、地方自治体は、条例によって「特別用途地区」を定め、土地利用について制限を設けることができる。宝塚市も最高裁判決後、出店計画がある地区で特別用途指定をしようとしたが、対応が遅れ3件の駆け込み出店を許す結果となった。