癒着市政の打破に動く生駒市
住民からのチェックが効かないまま、意識の低い議会と首長が馴れ合っている自治体はまだまだ存在する。
奈良県生駒市。大阪府との県境、小高い丘陵に広がるこの街は、高度成長期から大阪のベッドタウンとして開発が進み、いわゆる「新住民」が数多く住む典型的な郊外型自治体である。
新住民の多くは、昼間は大阪で勤務するサラリーマンの家庭だ。市や議会の動きにあまり関心がない無党派層、いわゆるサイレントマジョリティーは彼らによって形成される。
09年春、生駒市は全国から大きな注目を集めた。中本幸一・前生駒市長と酒井隆前市議会議長に対し、相次いで実刑判決が下されたのだ(控訴中)。その主な内容はスポーツ公園用地として山林を異常な高値で買い取らせて市に損害を与えた上、業者から賄賂を受け取ったというものだった。
中本被告が市長を務めたのは94年から06年までの3期12年。バブルの余韻が残るこの期間に進められたのが、市・県・都市再生機構によるニュータウン計画だった。人口11.5万人の市に新たに2.3万人を呼び込むという大規模開発に対し疑念の声が上がった。
しかし市長、議会の推進姿勢は変わらず、03年、市民団体が全有権者の約6分の1に達する1.5万人分の署名を集めて住民投票条例を直接請求するも議会は否決。無力感もあって、市民団体の代表世話人だった弁護士の山下真氏が06年1月の市長選に出馬。組織票のほぼ全てが中本陣営に集まる中、コアなスタッフは10人ほどという陣容でダブルスコア当選。当時全国最年少、37歳市長の誕生である。
山下市長は、「関西一魅力的な住宅都市」を掲げ、保育所の充実など子育て世代への支援に努めてきた。一方で、「将来世代にツケを残さない」という考えから、就任直後わずか約2週間の査定で、370億円の予算のうち、箱モノ開発中止などで70億円を圧縮。その後も首長・職員の給与カットや外郭団体の整理統合、行政委員の報酬見直しといった行政改革、高齢者への交通費助成や同和問題対策費用の削減、農業委員定数見直し、公共施設利用料の値上げなどを次々実施。この4年間の実行力は目を見張るべきものがある。
しかも、市長就任当時の市議会はほぼオール反市長派。市長提案の議案はことごとく否決された。07年4月に市議会選挙があったが、現在も市長に近いのは定数24人のうち5人ほど。選挙直後に逮捕された酒井前議長はその後も議席を占めるが、有権者の半数近い署名でリコール請求されている。
山下市長は、「しがらみがあったら改革はできなかった。これからも、条件をつけられるような組織の支援は受けずに、これからも全市民にとってどうかという視点でやっていく」と語り、10年1月の市長選への出馬を表明した。対抗馬は、「市長の市政運営は独善的」と批判する樋口清士市議(前副議長)だ。
最大の争点は、05年に閉院した生駒総合病院の後継2次医療機関として、新市立病院を建設するかどうかだ。山下市長は、唯一全国公募に応募してきた医療法人徳洲会に委託する公設民営方式での病院設置を推進しているが、地元医師会は徳洲会進出に反発。樋口市議は「徳洲会ありきで進んでいるのではないか」と批判している。