タイの製造現場では日本人1人に対して、多くのタイ人と一緒に働くことも一般的。すでにこの地には多くの日系企業が進出しているものの、仮に駐在員事務所であれば、日本では超大手企業でも日本人スタッフが2、3人といったところも普通。ASEANのデトロイトと言われるタイだけに、自動車関連の大手企業は当然日本人スタッフが多いが、工場だけに限らず、オフィスでも日本人が足りないといった話は枚挙にいとまがない。「働かない」「怠け者」といわれるタイ人を抱えながら、日本人は1人だけ。苦労は推して知るべしだが、今回は実際にある工場で300人のタイ人スタッフと一緒に働く社長のHさん(40代後半)に話を聞き、現状を教えてもらった。
Hさんは、鉄鋼関係を扱う製造工場の現地社長。来タイしたのは2年前。それまでシンガポールなどの駐在経験もあったため、外国人と働くことには違和感はなかったが、辞令を受けたときは「ついに来たか」という心境だったという。現地工場の日本人社長はHさんで5代目。オフィス勤務は約30人で、工場勤務は約270人ほど。会社の業績は、2011年の大洪水の特需があり、その後も順調。Hさんはタイ語を話すことはできないが、英語が堪能なスタッフがいるため、基本的なコミュニケーションには問題はなかった。
最初にスタッフに伝えたことは「君たちを辞めさせない」だった
シンガポール時代からHさんがとにかく心がけているのが、現地スタッフとの信頼関係を築くこと。シンガポール駐在時代、日本人はとにかく日本人同士で行動を一緒にすることが多く、食事なども日本人だけで取ることも当たり前だった。しかし、Hさんは業務の円滑化や英語のスキル向上を目的に、とにかく現地のスタッフに溶け込む努力を続けた。現地スタッフとの食事に割り込み、残業にも付き合ってあげるなど関係構築に注力。そのかいもあって、数年後、Hさんの日本帰任時には、多くの現地スタッフが涙を流して門出を祝ってくれたという。「感動してこっちも涙が出そうになったよ。彼らとは今も付き合いがあるんだよね。たまに日本に来ると、東京のうちに泊まるんだけど、『こんな狭い家に住んでいるのか』って文句言うんだけどさ(笑)」。
生まれた場所や肌の色で差別はしないというHさんは、タイにおいてもその大胆な行動力で最初からタイ人スタッフたちの気持ちを掴む。「まず俺が300人のスタッフを前にして言ったことは、『絶対に君たちを辞めさせない。君たちが辞めるなら、俺が先に辞める』って言ったんだよ。厳しいことを言って、マイナスから受け止められてもロクなことはない。モチベーションだって上がらないでしょ? 今抱えている仕事を、一生懸命やろうってね」。
実際にHさんが着任してから同社のスタッフは病気や致し方ない理由で辞めたスタッフ以外の退職者はゼロ。普通、300人もいれば、はみ出すものもいるが、身勝手な理由で退職したタイ人は皆無だという。「俺はね、スタッフとは家族ぐるみで付き合いたいんだよ。彼らの親が亡くなれば葬式にも出るし、彼らが結婚するならもちろん出席する。いきなり300人の親戚が増えたようなもんだからさ。それはそれでうれしいことでもあるけど、重いことでもある。俺が支えるのは、単に300人だけじゃない。その家族まで支えるということだから」。