上を目指す若い選手たちのバイタリティーはすごいんだよと、山下は目を輝かせる。土にまみれてボールを追いかけ、技術を盗もうと目を光らせ、もっと教えてくれと訴える。未来をつかまんと貪欲に生きる、そんな選手たちと一緒の毎日から、山下は若き日の感覚を取り戻す。冒頭の「野球小僧」という言葉がそうだ。
その意味を山下に問うと、「野球バカってことですよ」と笑う。「もっとうまくなりたい」という純粋な気持ちが源となり、力を尽くすことで成長し、自信がつく。バカと言われるくらい何かにとことん打ち込むことが、今日を充実させ、明日へと前進することの原点だった。ところが一定の成績を残せるレベルになると安心するのか、もしくは外聞やら何やらを気にしてやりたいことが見えなくなるのか、がむしゃらにならなくてもやっていけると、そんな気持ちは薄れていく。人間が老けるって、そういうことなのかもしれない。
山下は今、湯気が立つような若い選手たちと接して、生きる原点ともいうべき、この気持ちを思い出している。「僕は今でも野球小僧」とは、若い連中の育成に夢中ということだ。功なり名を遂げた男が、家族を置いて単身渡米し、灼熱の地で10キロも身を削りながら、「もっと教えてやりたい」とコーチに没頭している。
誰しも若い頃、そんな気持ちで頑張ったことがあるはずだ。現在進行形で生きている若い人に触れれば、体の中に残っているその時の充実感が覚醒したり、純粋な気持ちを忘れていたことを気恥ずかしく思ったりするのだろう。それで何かに燃えて、また充実感を味わうことができれば、毎日がおもしろいという実感が持てるのではないか。山下がそうであるように。
職場放棄は私が勧めました
余談めくが、最近とある企業を退職した62歳の大先輩が、筆者と飲みながら「同窓会がつまんないんだよ。話題になるのは、健康、家族に相手にされないという自嘲、現役時代にこうしたああしたという回顧談。みんな後ろ向きなんだよなあ」と語った。自分に若い彼女がいることを大先輩は正当化したいだけじゃないかと笑いつつ、確かにそうだなと思った。見渡せば退職前のベテランでも中堅でも、これから何をしたいのかわからない人はごろごろしている。
それは同じ世代どうし、心地いい話題で傷をなめあっていることと無縁ではあるまい。だから自分より若い連中とつきあわないと老け込むよ、と言われればドキッとするだろうが、つきあおうにも噛み合わないよと、心配が先に立つ気持ちもわかる。山下はどうだったのか。
「日本でゴールデン・グラブ賞をとったことはみんな知っていて、リスペクトしてくれているのは感じたので、入っていきやすかったですね。また僕は現役時代、上手な人を見てマネしているうち、すっとボールを捕れる感覚が持てたことがあります。だから守備コーチとしても、選手に目から入って覚えてもらいたい。僕もプレーを見せられるのが最後に近くなってきていますから、向こうではトレーニングをして、目から『こういう捕り方がいいんだ』と教えようとしてきました。日本に戻ってから、おいしいものを食べて少し太っていますけど」
尊敬されるだけの実績、やってみせるという実践。それに加えて、一人ひとりを見ようとしていることも、親のような世代の山下に若い選手たちがついていく要素の一つだと思う。