――それはなぜでしょうか?
三山:オバマ政権は、それまでのヨーロッパ中心の政策から日本、中国、韓国、東南アジアといったアジア重視のいわゆるリバランス政策へ転換している時期でした。
アメリカのリバランス政策と、日中韓の関係悪化は方向性が逆になります。それがオバマの広島訪問にどう影響するのかと言えば、もともと中国、韓国は米国大統領の被爆地訪問に関しては「被爆」という日本の被害面だけがクローズアップされ、中国と韓国が第2次世界大戦中に日本軍から被った被害はどうなってしまうんだと批判的に考えます。そうしたこともあり中国、韓国の反発も懸念して広島訪問は頓挫していたんです。
――こうした状況を打開したのはどんな出来事だったのでしょうか?
三山:2015年、アメリカを訪問した安倍首相が、アメリカ上下両院合同議会で行った「希望の同盟へ」と題する演説は、かつて戦火を交じえた日米の和解の演出としては相当なものでした。単に、軍事的や経済的な同盟ではなく、ある種の世界観や社会観までを共有するとしましたからね。
一方、日中韓の関係も以前に比べればジワジワと良くなってきました。首脳会談もようやく開催されるようになりました。また、アメリカも中韓に対し、アメとムチではないけれど、シビアに対応したことで、中韓もこれまでと同じスタンスではいられなくなったんです。
――そうした政治状況が好転したこともあり、結局、オバマは伊勢志摩サミット後に、広島を訪問しました。しかし、サミット開催地決定前、三山さんは広島でのサミット開催のために招致に動いていたと。
三山:大統領選のスケジュールや彼の任期などを考えると、在任中に広島訪問を実現させるためには、今年のサミットの際に訪れるのではないかと考え、広島でのサミット開催のために動きました。ただ、伊勢志摩以外の他の地域は自ら名乗りを挙げたのに対し、伊勢志摩は安倍官邸から立候補地に誘い出したんです。表向きは広島を含めた8カ所から絞り込んだとされていますが、結局、伊勢志摩に決まったのは、警備面の優位性もさることながら安倍首相の伊勢神宮への特別な思いがあったからでしょう。
また、開催地決定の裏では、国務省幹部が「広島開催であれば大統領も訪問しやすい」と日本側に伝えていたのに対し、オバマは「サミット開催地が広島だから結果として訪問するという形を望んではない。広島を訪問する場合には自らの意志で訪問したい」とキャロライン・ケネディ大使が日本側に伝えたという情報をキャッチしました。だからこそ、サミットが伊勢志摩で決定となっても、広島訪問の可能性はなお、残っているのではないかと考えたんです。