今年、5月27日バラク・オバマ大統領が、現職大統領としては初めて被爆地、広島を訪問した。テレビでは生中継が行われ、この歴史的な出来事に日本中が注目した。オバマ大統領と森重昭さんの抱擁シーンは世界に配信され、今年世界で最も記憶されている映像となった。
この広島訪問の舞台裏ではどのようなことが起こっていたのだろうか。オバマの訪問の裏側で尽力し、『オバマへの手紙 ヒロシマ訪問秘録』(文春新書)を上梓した広島テレビ放送社長、三山秀昭氏に話を聞いた。
――オバマ大統領の広島訪問は、やはり09年の「核なき世界」を訴えたプラハ演説で明らかになる、核軍縮への並々ならぬ思いからだったのでしょうか?
三山:オバマのプラハ演説で始まった核軍縮への旅が広島で一応、終結したという考え方自体は否定しません。しかし、そうしたオバマ大統領の核軍縮に対する熱意だけで広島訪問が実現したわけではなく、国際政治の冷徹な現実の動きなど多面的な要素が絡み合っています。
――熱意だけという単純なものではなく、様々な背景が揃った結果が実現に繋がったと。具体的にはどんな背景があったのでしょうか?
三山:まず、オバマはこれまで4回日本を訪問しましたが、最初の訪日時から大統領就任中の広島訪問の可能性を探っていました。
2009年にノーベル平和賞を受賞した直後に初訪日していますが、その際、ジョン・ルース駐日大使がオバマの広島訪問の可能性を非公式に藪中三十二外務次官に打診しました。しかし、藪中氏は認めませんが、事実上日本側は「no」と答えたのです。当時の鳩山由紀夫政権は、沖縄県の普天間基地移転問題で「最低でも県外」と日米合意を覆す見解を表明したために、日米関係がギクシャクしていたので、藪中氏も「歴史的訪問を実現する状況ではない」と判断、訪問は見送って欲しいと答えなければならなかった。
その後、野田政権だった12年には、ワシントンでのシンポジウムで石原慎太郎都知事(当時)が突然、尖閣諸島を地権者から買取る合意をしたと発表。あわてた野田政権は尖閣諸島の国有化に踏み切った。当然日中関係は悪化し、また韓国の李明博大統領が竹島へ上陸したため、日韓関係も悪化した。
また、12年に政権に返り咲いた自民党の安倍晋三首相が、自らの信念である靖国神社参拝に踏み切りました。この裏では衛藤晟一総理補佐官がワシントンへ密使として派遣され「安倍首相のかねてよりの信念なので参拝する」と伝えましたが、ホワイトハウスも国務省も「not welcome」と当然の反応を示した。このアメリカ側の意向を衛藤氏が安倍首相にきちんと伝えたのか、それともアメリカ側の反応を承知した上で、安倍首相が参拝に踏み切ったのかはわかりません。しかしこのことでホワイトハウスは外交では異例となる「disappointed」(失望した)という声明を発表しました。これらの出来事により、日米間のみならず、中国や韓国との関係もさらに悪化し、オバマは当分の間、広島訪問を見送らなければならなくなった。