2024年11月22日(金)

Wedge REPORT

2016年12月7日

 「これが失敗したらうちは倒産する」と思っていたと百田氏。危機感を感じながら11年から有望株のデザイナーと組み、デザイン主導で新商品を開発、釉薬をかけないなどの斬新な新手法を用いた。12年には国内の発信基地としてグランドオープンしたパレスホテル東京に出店。13年の「ミラノ・サローネ」で賞を獲得したことでブレークした。国内はもとより世界20カ国に輸出、投資回収も順調に進んでいる。「新規事業にはスピード感も重要。使い道に制約のある補助金は不要と考えた」と百田氏は振り返る。安易に補助金をもらうと、やり遂げる覚悟も鈍るということだろう。

 県も「1616」の成功に目を付け、同じ発想で「2016」のプロジェクトを進めることで、産地の在り方を変えていくことにしたのだ。「2016」は「1616」が進化したブランドとして位置付け、新会社の社長には百田氏が就任している。

国の伝統工芸の定義付けが
現代の生活に合うもの作りを阻む

 「補助金頼みの側面が強まっているが、これが諸悪の根源。自分で汗をかくことを怠る傾向に陥っているのではないか」。こう問題提起するのは、輪島の塗師屋「大崎庄右エ門」で4代目となる大崎四郎氏だ。塗師屋とは漆器を生産、販売する元締めのことだ。大崎氏は、伝統を大切にしつつも自助努力で異業種である陶磁器のノリタケと組んでボーンチャイナに漆を施すなどの新製品を開発してきた。「お客さんに新しい生活空間を提案していく努力は不可欠」として、73歳になった今でも自分が営業に出る。

 有田焼と並んで日本を代表する伝統工芸のひとつ、輪島塗もジリ貧状態だ。有田焼と同様に産地の売上高のピークは91年でその時の180億円から15年は42億円にまで減少した。

 輪島塗は富山の薬売りと同じように、行商スタイルで、作り手でもあり、売り手でもある塗師屋が全国を歩き、顧客と信頼関係を築き、そのニーズを吸い取って漆器を製造販売してきた。しかし、販売は百貨店任せで価格も言われるままの状況になり、一定の量を確保するため、粗悪品も出回った。いつの間にか作り手の顔が見えない製品になると同時に、マンションでの生活など現代のライフスタイルに輪島塗は合わなくなった。経営に窮する塗師屋も増え、それが補助金依存の高まりを招いた一因とも言える。

 輪島では、危機感をおぼえて新たな取り組みを展開する塗師屋も増えつつある。持続的な事業の発展に繋がる補助金の利用の仕方を意識している。


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