4年目の04年。ボビー・バレンタインが監督に就任すると同時に、渡辺は新生マリーンズの象徴的な活躍を見せる。初の2桁勝利となる12勝を挙げ、翌年は15勝4敗と大きく勝ち越し、31年ぶりの優勝に大きく貢献。日本シリーズでも完封勝利を挙げた。06年には第1回WBCのメンバーに選ばれ、見事初優勝を飾る。
「紙吹雪が舞って、王監督がいて、イチローさんがいて、夢を見てるんじゃないかって、本気で思った」
ミスターサブマリン。渡辺俊介は、球史を代表するアンダースロー投手としての地位を確立した。
気がつけば、ベテランの域に入っていた。13年目となった当時、若返りを図るチーム方針もあり、渡辺は2軍にいることが多くなった。ベテランとしての活躍をチームからは期待され、決して居場所がないわけではなかった。
「自分がアドバイスをした選手が活躍すると、嬉しかった。でもそれは、現役選手としてどうなんだ、っていう思いも同時にあった」
しかし、現役選手だからこそ見えることがあると信じていた渡辺は、チームを出ることを決める。
「マリーンズのファンを思うと、国内の他のチームは考えられなかった。ボビーとの時間や、WBCでの経験もあって、アメリカに行きたいと思った」
14年、レッドソックスのキャンプに参加。オープン戦を終え、ボストンに帰ろうとしたとき、首脳陣に呼び止められた。同時に呼ばれたのは、日本でもプレー経験のあるリーソップ。
「リーソップとワタナベ、どちらかをリリースしなきゃいけない。今から会議して決めるから、待っててくれ」
1時間半後、ワタナベは戦力外であることを言い渡された。
「開幕直前の人数調整だった。突然だから、相当不安になるよね」
2週間後、開幕直前に独立リーグのランカスターと契約。独立リーグといえど、毎試合5000人近くの観客が入り、年間140試合開催されるリーグである。渡辺はここで39試合に登板し、8勝2敗の成績を挙げた。11月には、ベネズエラで開催される現役メジャーリーガーも多く参加するウィンターリーグに参加。ここで活躍することはメジャーへのアピールとなる。ここでも渡辺は週間MVPを獲得するなど大活躍。ベネズエラでは珍しい日本人で、アンダースローということもあり、「街の飲食店はどこに行ってもタダにしてもらえた」というほど、街でも人気者となった。