新たに契約したチームは、オリックス・バファローズ。ヤンキース時代の最後は中継ぎ投手としてシーズンを送っていたため、先発投手としての体を一から作り直す必要があった。しかし、33歳となる当時の体は、そう簡単に仕上がらなかった。日本復帰後初登板で右太ももを痙攣し、降板。その後も、体のいたるところにハリや違和感を抱えながらの投球となった。
当時のオリックスの投手陣は怪我人が続出し、怪我を押しての登板が続いた。
「シーズンの最後は、左脇腹が肉離れした状態で投げ続けた」
翌年以降も、怪我や体の調整と付き合い続けた。15年、ついに井川は野球人生で初めての感覚を覚える。
「どれだけ全力で投げても、簡単に打たれる。人生で経験したことのないくらい、打たれた」
7月、球団に呼ばれ来季の契約を結ばない旨を告げられた。井川自身、何の異議もなく、野球人生は終わりを迎えようとしていた。しかしその後、「体が動かなくて辞めるのは情けない、という理由で試みた」というダイエットにより12キロの減量に成功。すると、135キロを切るまでに落ちていた球速は145キロにまで戻った。
「あれ、俺、まだやれるかもって思ってね。もう一回、納得のいくボールを投げて、終わりたい」
今年1月。雪の積もる兵庫県三田市の球場を訪れると、若手選手とともにトレーニングに励む井川がいた。昨年の12月に、兵庫ブルーサンダーズと契約。17年シーズンに向けて仕上がりは順調である。「自分のボールを投げられることを証明したい。それができれば、納得して辞められる」。
NPBに復帰する気はあるのか、という質問にも「求められれば」と答えるだけで興味はあくまで「自分のボール」を投げることに集約されている。
「今年怪我をしたら、また引退が1年延びちゃうね」と言って、いたずらっぽく笑ってみせる。井川の意思決定は、彼の中だけに流れる時間、価値観によって行われている。
今のところ、井川の調整は順調だそうだ。
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