シリーズ「東芝メモリを買ってほしいところ、買ってほしくないところ」

2017年5月11日

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湯之上隆 (ゆのがみ・たかし)

微細加工研究所所長

1961年生まれ。静岡県出身。京都大学大学院(修士課程原子核工学専攻)を修了後、日立製作所に入社。以後16年にわたり、中央研究所、半導体事業部、デバイス開発センタ、エルピーダメモリ(出向)、半導体先端テクノロジーズ(出向)にて、半導体の微細加工技術開発に従事。2000年に京都大学より工学博士授与。現在、半導体産業と電機産業のコンサルタントおよびジャーナリスト。微細加工研究所所長。著書に『日本型モノづくりの敗北 零戦・半導体・テレビ』(文春新書)など。

組織と経営の青写真

 日立とNECの合弁の際、以下のように組織や拠点が作られた。まず、組織について。エルピーダのあらゆるセクションが、日立とNECの社員で構成された。構成比はセクションによってバラツキがあるものの、概ね半々だった。また、課長、部長、本部長から社長に至るまで、あらゆる職位は二重になった。その際、正課長が日立、副課長がNECであったとしたら、部長職は、逆に、正部長がNEC、副部長が日立というように、たすき掛け構造の人事がなされた(図3)。

 次に、設計センター、開発センター、および、量産拠点について。エルピーダの設計センターおよび開発センターは、NEC相模原の敷地内に設立された。ここに、日立およびNECの設計技術者、プロセス技術者が出向してきた(図4)。

 DRAMの設計、開発、量産の青写真は以下のように考えられていた。まず、NEC相模原の敷地内に設置されたエルピーダの設計センターでDRAMを設計する。次に、NECの敷地内にある開発センターで、上記DRAMが試作され、工程フローが完成する。この工程フローを量産工場に技術移管する。量産拠点は、日立シンガポール工場、NEC広島工場、および、エルピーダメモリが新たに広島に建設する最新鋭量産工場などである。このような組織、職制、および、事業拠点により、1+1=3を目論んだ。果たしてその結果はどうなったか?

設計技術の融合は可能か?

 NEC内に設置された設計センターに、NECの設計技術者および日立の設計技術者が集まって、一致団結し、一つのDRAMを、設計することが可能だろうか? 

 0.13μmDRAMからスタートしたエルピーダの設計センターでは、NEC版の0.13μmDRAMと、日立版の0.13μmDRAMの二種類が設計されてしまった。やはり、設計技術を融合し、一致団結して、一つのDRAMを設計することはできなかった。更に、どちらの設計者も、自分が設計した0.13μmDRAMを優先的に試作するようにと、デバイス・プロセス部門に圧力をかけてきた。人手不足のデバイス・プロセス部門は悲鳴を上げた。しかし、たすき掛け人事による職制が災いをして、どちらか一方を選択する決定ができず、社内は混乱した。

プロセスの良い所取りは可能か?

 次に、開発センターのデバイス・プロセス部門について。開発センターのインテグレーションおよび各要素プロセス部門には、“良い所取りをしろ”という指令がなされた。尚、インテグレーションとは、十数種類ある半導体の要素技術を組み合わせて500工程以上から成るプロセスフローを構築する技術のことである。

 一見して、合理的に聞こえる“良い所取りをしろ”という指令が、プロセス部門を混乱させ、無用な摩擦を生む原因となった。それは何故なのか?

 “良い所取りをする”ということは、各技術について、お互いを比較して、優劣を決めると言うことである。NECの技術者も日立の技術者も、自分こそがナンバー1だというプライドを持っていた。実際、1980年代、NECはDRAMのシェア世界1の座に数多く座った。その後、韓国サムスン電子に世界1の座は譲り渡してしまうが、それでも、少なくもDRAM日本1のプライドがあった。一方、日立は、要素技術、特に微細加工技術ナンバー1というプライドがあった。両者が持っていたこのようなプライドがあちこちで衝突する。衝突すると、がっぷり四つに組んでしまい、両者一歩も引くことができない。このような混乱や摩擦が至る所で生じた。

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