「孫子」の「アメとムチ」
中国の優れた兵法書「孫子」の中に、
『卒未だ親附(しんぷ)せずして之を罰すれば、即ち服せず。
服せざれば即ち用い難し。
卒巳(すで)に親附して罰行わざれば、即ち用う可からず。』
という一節があります。
内容は、
『まだ人間関係ができていないうちは、兵士が何かまずいことをやっても処罰しないほうがいい。反発して、よけいに言うことを聞かなくなるからだ。
逆に親しい関係ができているなら、甘やかしてはいけない。懲罰を用いることで統制が取れるからだ。』
というものです。
兵士を率いる上官の心得なので強い言葉が使われていますが、注目したいのは、軍隊にあっても部下を叱る前に信頼関係を築くべきだとはっきり述べられている点です。
よく「アメとムチ」と言われますが、時には褒めて、時には厳しくすることで人を動かすという単純なものではないのですね。
褒めると叱るを使い分けるというテクニックではなく、信頼関係をいかに作るかなのです。
信頼関係を築くためには、相手のよいところを認め、褒めることから始めなければならない。
ですから、「叱る」は「褒める」の先にあるもの、褒める心と根っこは同じ心の働きでなければならないのです。
本気で信じるから本気で叱れる
テストの出来が悪かったら厳しく叱って、その代わり、いい成績を取れた時は子どもにご褒美をあげる、といった接し方をお子さんにしていて、「アメとムチを使い分けているんです」とおっしゃるお母さんがたまにいます。
どうでしょう。上手く行くでしょうか?
「ムチとムチ」よりはいいかもしれませんが、良いところを認め励ますという、本来の「アメ」にはなっていませんね。
その子の良いところ、伸びるはずだと思えるところを見つけ、実際に伸びてもらおうとする。伸びていくこと、出来るようになることを本気で信じることができる。だから、叱るのです。
「何とかなるんじゃないかなぁ」と子どもの様子に高をくくっていて、いざ期日がきたら全然できていない、テストの結果を見たら勉強不足であることが判明した、
そんな時に、親の心として「しまった!」「どうしよう」「もっと早く気づいていれば」「いまさら間に合わない」「もう手遅れだ」「なんでこんなことになっちゃったんだろう」
という心の声がわぁ~っと押し寄せてきて、心の中の片隅で(私のせいだ)(いや私が悪いんじゃないこの子が悪いんだ)なんて声もわきおこってきて、
カァ~ッとなって、「何してたの!!!!!」と怒鳴ってしまう。
これ、叱るではないですね。
「怒って」います。自分のために。
叱るのは疲れる。でも……
本気で叱れる人は、相手のことを本気で見て、本気で信じている人です。
子どもに対してでも、部下に対してでも、同じです。
その人のことがよく分かっている。その人に目指してもらいたい、到達してもらいたい地点がはっきり見えている。あなたなら必ずできるよと信じられる。
だから、叱ることができるのです。
怒るのは簡単です。自分の気持ちにしたがって、自分だけを感じていればいいからです。
「怒りをエネルギーに変えて」という言葉はありますが、「叱る気持ちをエネルギーに変えて」とは、言いませんよね。
叱るためには、相手に心を向けなければなりませんから、自分の中にエネルギーがたまることはないのです。
正直な話、叱るのは疲れます。
だれだって叱りたくはありません。
それでも、わが子やこれから伸びて欲しい部下が、頭ではやらなきゃなと思えている、やればできることも分かっている、それでもなんとなくダラダラ先送りしている様子であれば、動き出せるよう背中を押してやらねばなりません。
持っている力から考えればもっと高い品質の仕事ができるのに、当人が自分の力に気づかず工夫のない仕事をしているなら、気づかせてあげなければなりません。
くどくど説明したり、「どうすればいいか一緒に考えてみようか」と聞く姿勢で待つよりも、ピシっと「今すぐやりなさい!」「企画書のポイントが一目で分かるようにもう一度やり直し!」と有無を言わせず、叱った方が効果的なら叱るべきです。
動き出してしまえばできるのですから、本人も叱られた瞬間は嫌な思いにもなるでしょうが、成果が上がった後は良い気分になれます。