民主主義のチリ再訪
この年の10月、ピノチェトは信認投票で敗北し、89年の総選挙でキリスト教民主党のパトリシオ・エイルウィンが勝利し、17年ぶりに文民政権に戻った。一度独裁を許すと、民主主義に回復するには長い年月が必要である。
94年~97年にかけて、チリを援助関連の調査で訪れる機会が3度あった。以前と同様に、北の砂漠から南の湖までを踏査した。カウンターパートは、ピノチェト独裁政権下、アメリカやヨーロッパに亡命していた社会学者や環境関連の学者だった。民主化とともに国に戻り、チリ大学で教鞭をとっていた。独裁政権やその傾向のある政府にとって、邪魔者はリベラルアーツに属する教養層である。そのような学部はないほうが都合がよい。
ちなみにピノチェトは誘拐・殺人の罪で何度か告発されたが高齢で痴呆だとして罪状が却下された。しかし不正蓄財の容疑では妻と息子が一時逮捕され、家族の資産は差し押さえられた。2006年、独裁者は急性心不全で没した。91歳だった。
最近、久しぶりに日本で霞が関周辺を歩いた。90年代の初めころ、永田町界隈にあるオフィスで仕事をしていた。政策提言を持参して首相官邸にも訪れることがあったが、警備が軽微で「こんなんでいいのかな」と心配したほどだった。あたりに警察官も目立たなかった。今はどういうわけか、赤坂駅から国会への道筋でいたるところに多数の警官が目についた。警察の護送車も停まっていた。その日は国会周辺で、大規模な抗議運動もない日だったのに。チリを思い出して、本稿を書くことにした。
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