2024年11月19日(火)

WEDGE REPORT

2017年6月24日

 5月中旬にベネズエラを出港した漁船がスペインカナリア沖で拿捕された。積み荷は2.4トンのコカイン(末端価格1200億円)だ。昨年には九州で芸能人の兄がベネズエラからコカインを密輸(260グラム=末端価格1300万円)しようとして逮捕された。また、4月末にもドイツで日本人がコカイン(2億8000万円相当)を闇サイトで密売し、逮捕された。

 このようなコカインに絡むニュースを聞くたびに、密売人と会ったペルーの国境の街での出来事が脳裏に鮮やかに浮かび上がってくる。その後もコカインはあれこれと人生の節目につき纏ってきた。

コカの葉、裏経済の源

売人は多国籍 70年代後半

 私は、じりじりと照りつける強烈な陽射しにだらだら汗を流しながら、エクアドルの国境の町ペルーのトゥンベスの広場に立って同宿のブラジル人、ポルトガル人、イタリア娘といっしょに国境警備隊の行進を見ていた。当時ペルーとエクアドルの国境は一発触発の危険に満ち、両国の軍隊が対峙していた。ペルーはクーデターで誕生したモラレス・ベルムーデス(1975-80)の新自由主義・軍事政権の時代である。

 軍の音楽隊が国歌を奏で、ペルー人たちはするするとのぼってゆく国旗に向かって敬礼をした。私は旅の友人たちと、へらへら笑いながら、それを見ていた。その不敬な態度がマシンガンを持つ兵士たちの目にとまった。つかつかと3人の兵士が無表情でこちらのほうへ歩いてくる。いやな感じである。私たちは彼らから顔を背けた。

 足音が私たちの前で止まった。

「なぜ、敬礼しない」
「敬礼? ぼくらはペルー人じゃないから」
「ペルー人じゃない?」

 私たちの顔から笑みが消えた。3つの銃口がつきつけられていた。

 兵士たちは、ラテン系の彼らと日系人にも見える私を、ペルー国籍と見て取ったか、そう決めたのである。悪いことにパスポートを身につけていなかった(確かホテルに預けることが義務づけられていた)。結局連行され、しばらく拘置所に監禁されるはめとなった。

 拘置所で兵士たちは、執拗にいやがらせの質問を浴びせ掛けてきた。

 国籍は? 旅の目的は? パスポート番号は? 所持金は?

 賄賂をとれるか、もしとれるならばどれぐらいの額が適当なのかを値踏みしているのである。私たちは恐怖を押し殺してどうにか平静を保ち、一つ一つの質問にのらりくらりと答えた。私は事実を言った。

ボリビア・ユンガス地方

 「エクアドルでカメラも所持金を盗まれて一文なし、できたらお金を貸してほしいんだけど、ペルーの兵隊さんは親切でいい人が多いって聞くから、ちょっとでいいから」

 そういう私の言葉と私たち全員の貧乏そうな風体が幸いしたのだろう。兵士たちは、埒が明かないと諦めたのか、失望を顔に露にしてちぇと吐き捨て、宿の主人にパスポートを持ってこさせた。

 事なきを得てから、その夜、彼ら旅の友人3人から持ちかけられた。

 「実はぼくらはコカインを売っているんだよ。君もやらないか。ペルーでコカを手に入れてコロンビアで十倍の価格で売る。ぼろい商売だよ。君は一文無しだというし」

 このときは心を動かされた。実際、エクアドルのキトで盗難に遭い、ほとんど無一文のまま、知人に金を借りるためにペルーのリマへ行く途上なのである。

 私は、彼ら売人とビールを飲みながら曖昧に笑った。 


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