その後のコカイン業界の変遷 2000年~今
20年後、今度はベネズエラに住んだ。1993年にはコロンビアのパブロ・エスコバルは警官に殺され、メディジンとカリの巨大カルテルも、政府により撲滅された。ボリビアのコカ葉の生産・輸出も急減していた。むしろ、ボリビアは天然ガスや大豆の輸出が賑わっていた。
そして、コカインカルテルの拠点は、病原菌のようにベネズエラとメキシコに移っていた。メキシコでは政府がカルテルと戦っているが、ベネズエラは小さな複数のカルテルを壊滅したあとで、政府は国営化(もちろん公ではない)していた。南米では、ベネズエラは「Narco Estado(コカイン国家=政府、軍、政治家などが密売に関与している国家の意味)」と呼ばれている。密売量はトン単位なので収益は何千億円にもなる。
滞在中にボクシングファンが失望する悲惨な事件があった。日本でも活躍したWBA世界スーパーフェザー級元王者でベネズエラ出身のエドウィン・バレロ(生涯プロ戦績27戦全KO勝利 愛称インカ)は、私の住むカラボボ州都バレンシアにあるインターコンティネンタルホテル(その後国営化 現Hotel Venetour)の一室で妻を殺害し、翌日、留置所で自殺した(2010年4月19日 若干28歳)。強度のコカイン中毒であった。
同じカラボボ州にあるプエルト・カベ―ジョ港はコカインの集積地のひとつだった。あるとき、保税倉庫のひとつマクレッドからいつになっても輸入機材が出て来ない。倉庫を訪れてみたが、労働者たちが集結していて中に入れない。治安警察が回りを囲んでいる。労働者たちは叫んでいた。
「なんでおれたちの仲間を捕まえるんだ!」
「黒幕はわかっているだろう。ふざけるな!」
「マクレッドを捕まえろ! いくらもらったんだ!」
黒幕は、倉庫の所有者、シリア系のマクレッド・ガルシアだった。当時、プエルト・カベ―ジョ港の運営権を持ち、航空会社(Aeropostal)も所有し、チャべス政権に分配金を支払っていた。現在の副大統領でシリア系のターレク・エル・アイサーミ(当時のカラボボ州知事)とも深い関係にあった。
その後、マクレッドはコロンビアで麻薬密売容疑で逮捕され、港は国営化されキューバ人と軍人が入ってきた。港でのコカインの取り扱いは政府直轄となった。
この5月中旬にはベネズエラを出港した漁船がスペインカナリア沖で拿捕された。積み荷は2.4トンのコカイン(末端価格1200億円)。ベネズエラでは許可さえあれば、コカインの出入りは自由である。輸出入を管轄する税関の長官ダビッド・カベ―ジョは最大カルテル ロス・ソーレスの元締めといわれる元国会議長ディサード・カベ―ジョの弟なのだ。
これらの密売人たちにどのような結末が待っているのか? さほど遠くない未来にその結果を見ることができると私は確信している。
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。