8月21日、わが国の政府も遅ればせながら、日印原子力協定締結のためのテーブルについた。が、その議論の場で、岡田外相が「インドが核実験を行えば、協定は停止する」という主旨の発言をおこない、波紋を呼んでいる。
各報道機関は、この発言を支持する動きに回っており、核兵器不拡散条約に加盟しないインドとの原子力協力は断じて許さんという世論に、さらなる拍車をかけている。国民の反核感情を慮る政府の弱腰が垣間見えた格好だ。
だが本当に、日本の国是である核廃絶とこの協定締結は相容れないのだろうか?
外務省の初代原子力課長を務めた筆者が、両論が何ら矛盾しないことを、筋道立てて説く。
交渉開始に対して 勢いづく反対勢力
毎年8月には、広島・長崎原爆忌に因んで核問題に関する論議が熱を帯びるが、今年は特に、40余年前の沖縄返還交渉の際の日米「核密約」や普天間移設問題も絡んで、「非核三原則」や「核の傘」などの問題が各方面で盛んに議論されている。
その一方で、最近国内で急浮上し、注目を浴びているのは、今年の6月28日に、協定締結に向け交渉を開始した日印原子力協定という新しい問題である。岡田克也外務大臣や直嶋正行経済産業大臣は、反核の国民感情を尊重するとしながらも、外交、戦略、経済上の考慮を総合した上で、日印原子力協力推進に一歩踏み出したわけだ。
この政府の動きにマスコミや反対勢力はすばやく反応し、予想どおり反対論の洪水が押し寄せている。NPT(核兵器不拡散条約)に加盟せず、独自に核兵器を開発・保持しているインドに対して、原子力平和利用の面で協力すること(とりわけ日本製の原子力発電所を輸出すること)は、NPT体制の弱体化につながる。唯一の被爆国として、核軍縮・核兵器廃絶の先頭に立つ決意を全世界に公言しながら、インドとの交渉を進めることは断じて容認できない─というのが、反対派の主張である。特に広島、長崎両市は政府に対して交渉の即刻中止を要請するなど、活発な働きかけを行っている。
一方の岡田大臣の発言を要約すると、「インドをいつまでも核問題の国際協力体制から疎外しておくのは非現実的だ。日本だけが反対しても対印原子力協力はすでに大々的に進行している。むしろ日本も積極的に関与することによってインドの行動を監視し、責任ある行動を取らせる方が一層効果的だ」と説明している。だが、筆者の見るところ、政府の姿勢はまだまだ中途半端で、岡田大臣の説明も大筋では正しく、賛成できるが、いかにも受動的であり、十分な説得力が感じられない。
この問題は、いわば「核と原子力の接点」にある応用問題で、普通の核問題とは大分性格が異なる。それだけに国民には理解しにくい面があり、誤解が誤解を生み、議論が空回りしているようである。だが、国民の反核感情を慮った政府が意図的に曖昧な態度をとって説明責任を怠り続ければ、日本の不安定な政治状況と相まって、日印原子力協定交渉は頓挫し、最悪の場合、協定を締結できず、日本の国益を大きく毀損する恐れがあることを認識する必要がある。そもそも反対論が勢いづく背景には、NPTの趣旨やインドの核・原子力政策の歴史的背景を、日本人が正確に理解していないことがあると筆者は感じている。そこで、以下に述べるように、この問題に対する誤解を解きほぐしていきたい。
NPTを遵守しても核廃絶はできない
周知のように、第二次世界大戦の末期に米国が開発した核兵器(当時の言葉で原子爆弾)は、予想に反して、その後20年間に、ソ連(現ロシア)、イギリス、フランス、中国に拡大してしまった。そこで、中国の核実験(1964年)直後から、これ以上核兵器を持った国を増やさないために、米ソ英が中心になって交渉した結果、68年に出来上がったのが現在のNPTという国際条約である。従って、NPTは一般に誤解されているような、核兵器そのものの拡散を禁止する条約、つまり核軍縮条約ではなく、核兵器を持つ国の拡散を防止する条約、つまり「核兵器国不拡散条約」なのである。
具体的には、67年1月1日以前に核実験をした前記5カ国を「核兵器国」、それ以外の国を「非核兵器国」と規定し、前者による核兵器の開発・製造・保持はすべて公認、後者によるそれはすべて禁止され、その担保として、IAEA(国際原子力機関)による核査察を強制されるという国際法の仕組みが出来上がった。これではあまりにも不公平だということで、交渉の過程で、核兵器国側にも核軍縮の義務らしきものが定められたが、これは正確に言うと「核軍縮交渉を行う義務」であって、「核軍縮を実際に行う義務」ではない。
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