しかし、この試みはキュレーションの線上にある。デジタルで足した部分は、プロジェクション・マッピングや拡張現実(AR)や仮想現実(VR)などの技術を使ったデジタルアート、あるいはインスタレーションといった独立した芸術作品とは違う。「文化財のひとつの見せ方であり、それも勝手な解釈ではなく、研究者として解釈した日本文化の文脈上に載せている」
『松林図屏風』の複製は、すでに教育普及事業のプログラムの小中学生とその家族を対象にしたワークショップで、屏風という文化を体験している。その流れの試みであることから『親と子のギャラリー』という見出しがついているが、大人でも十分に楽しめるものになっている。外国の方の来場も多いようだ。
「これは研究者としての解釈ではあるが、その解釈を説明するためのものではない」と小林課長は言う。「ワークショップも感じる心を刺激するため、想像して見る心を刺激するためのもの」と、教育を担当する立場からの狙いを説明してくれた。
「ひとつの解釈を押し付けられていると感じる人もいるかもしれないが、絵を見ながら『お母さん、私はこう思う』と、そのストーリーに共感するしないの会話が始まる。決められた照明で真正面から対峙するのではなく、自分の前に人が立っているかもしれない、いろんな光があたるかもしれない。外の風が吹いてくるし、そんな環境で見たときに想像力を掻き立てられて見る力をふっと呼び覚ます。そんなきっかけになればいい」
松嶋室長と小林課長は、この体験が日本の文化にさらに興味を持ち、本来の作品や文化財に戻り、通常の展示を訪れることにつながって欲しいと口を揃える。
相反するふたつをデジタル技術で並立させる
このような実験的な試みは、複製物だから、しかも「専門家が1.5メートルの距離から見ても本物と見分けることが難しい」ほどのものだから可能になった。複製だけでなく、映像も10年前の技術ではできなかったことだ。文化財の保管(保存)と「公衆の観覧に供する」という相反するふたつを、進化したデジタル技術によって並立させようともしている。
松嶋室長は「模写とか、人間の手が入ると、まったく違ったものになってしまう」と言う。「伝世した何百年のものを、そのまま人間の手を介さずに複製することに意味がある。機械でやったほうが、そのものに近づくはずだ」
二双の屏風は、キヤノンと京都文化協会が共同で行なっている「綴(つづり)プロジェクト」の一環で製作されたものだ。デジタルカメラで撮影したデータが、オリジナルに忠実な色を再現するように画像処理され、高精細のプリンタによってプリントされる。その上に伝統工芸士が金箔・金泥を再現(群鶴図)し、最終的に京表具師によって表装されて屏風に仕立てられた。
美術品に限らず、スポーツやエンターテイメントの世界でも、その背景や成り立ちを知ることによって、作品やチームや人物に興味を持ち、理解を深めることでファンになっていくことが多い。しかし、作品についての情報は、インターネットから容易に得ることができるようになった。展示会場での限られた時間を、掲示されたパネルを読むために費やす必要はない。展示する側も、来場の前後のSNSなどでの行動も意識して、来場者の体験をデザインしていく必要があるだろう。デジタル技術の進化で、いろいろな可能性が広がっている。
「びょうぶとあそぶ」は、2017年9月3日(日)まで東京国立博物館で開催されている。
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